太公望、妊娠す

太公望が妊娠してしまうギャグ話です。

 事の起こりはある初夏の日のことだった。太公望と四不象は一時的に戻っていた崑崙を後にし、西岐へ帰る途中であった。その日は雲一つ無い良い天気で、あまりに良い天気すぎるが故に容赦ない夏の日差しをまともに浴び続ける羽目になっていたのだ。風が強く、地上よりはまだ気温の低い空の上を飛んでいても夏の日差しがその光を緩めることはなく、それどころかより一層容赦ない。
「はーっ、しかしこうも暑いと水浴びでもしたくなるのう」
「真夏日っスからねえ。今年も『過去の記録を塗り替える猛暑』だとか言ってたっスよ」
「夏と言えば近年は毎年そのような『今までにない』だとか『数十年に一度の』だとかいう当たり年の仙桃の評価のような語が付いてくるではないか。夏の方も何もそこまで毎年当たり年でなくてもいいものを」
「でもご主人、仙桃も大概毎年『ここ数百年で最高の』だとか『百十年前のあの当たり年より優れた』っていう評価ばっかりじゃないスかねえ…」
「どうせなら真夏日の当たり年よりも仙桃の当たり年の方がいいのう…」
 そんな益体もない話をぐだぐだと続けながらしばらく飛んでいくと、眼下に河が見えてきた。大きな河だが、美しい清んだ水が穏やかに流れている。川岸には大きな木が何本も生え、容赦なく照りつける夏の日差しをも生命力に変えんばかりにその葉を生い茂らせている。
「おー、これは丁度いい。スープーよ、少し休むか」
 川岸に着地した四不象から降りると、太公望は川べりに膝をつくと手で水を掬い、そのままゴクゴクと二口三口飲み下した。ついでにザブザブと顔を洗う。
「ふーっ、生き返るのう。やっと人心地着いたわ」
「ご主人、河の水そのまんま飲んだらお腹壊すっすよ」
「何を言うか、こんなに清んだ流れの水なのだから大丈夫に決まっておる」
「少し上流の方で村があったでしょ。生活排水とか結構流されてたりするんスよ。大体、前にもお腹壊してみっともない事になってたじゃないスか」
「フッフッフ……わしが同じ過ちを繰り返すと思うなよ。崑崙を出るときに頭痛・腹下し・風邪・便秘・何にでも効く万能薬の仙丹をかっぱらってきたのだ。しかも今度は糖衣錠で苦くない薬だ」
「結局薬があってもお腹壊して苦しむのご主人じゃないすか」
「いちいち突っ込みが厳しいのう。それより、そろそろ行くとするか」
 などと強引に話を切り上げ、太公望と四不象は再び西岐への帰路についた。

 それから四月ほど後のある日のことである。
「たたたたた、大変ッス大変ッス!」
 殷に向かって進軍する途中の宿営地にて、全速力で飛び回る四不象の姿があった。それを見咎めた楊戩が立ち止まると、気付いた四不象は大慌てで彼の元に飛んでくる。
「何事だい」
「よ、楊戩さん、ご主人が、ご主人が!」
「カバっち、どうしたさ」
「お師匠様に何かあったの?」
 騒ぎを聞いて他の仙道や一部の人間も集まってくる。
「と、とにかく来て下さい!他の皆さんも一緒に!」

 一同が救護用テントに急行すると、そこには困惑と動揺を浮かべた顔で簡易寝台に腰掛けた太公望と、同じく困惑しきった顔の軍医が待っていた。
「なんかしばらく前から体調が優れなくてのう……たびたび腹痛と吐き気に見舞われる上に崑崙から持ち込んだ薬を飲んでも全く効かぬ。そこで医者に見て貰ったんだが」
「私にもこのような症例は初めてでして……いやしかし普通はあり得ないことですのでそんな筈はないとは思うのですが……」
「お師匠様そんなに悪いんですか!?」
 狼狽しきった様子の医師に不安を隠せない武吉が前のめりになって詰問する。
「いえいえ、ご病気ではありません、ただ、なんというか、その……」
「どうやらわし、妊娠しているかもしれんのだ」
「はあぁ!?」
 太公望と軍医を除く、その場にいた全員が素っ頓狂な声を上げた。次いで嬋玉が信じられないといった様子で叫ぶ。
「ちょ、ちょっと待って、太公望って女の人だったの!?」
「いやいや、これでもわし、れっきとした男」
「んなこと言ったって、男が妊娠するわけないさ?」
「うむ。わしも最初のうちは食あたりか何かだと思ってたんだが……」
 そう言って太公望は衣服をまくり上げ、一同に腹を見せる。彼の体型はどちらかと言うと細い方だが、下腹だけが奇妙に膨らみを持っていた。
「なんか最近、腹がどんどん出てきてのう」
「食べ過ぎて太ったんじゃないですか? そういえば最近、食料の中でモモとトマトの減りだけが以前より早くなっているんですが」
 周公旦がどこか険を含んだ声で問い詰める。疚しいところのあるらしい太公望はその視線にたじたじとなる。
「うっ、確かにそれもないとは言わんが……しかしな、明らかにそれとは何か違うのだ。時々、中で何かが動き回っているのを感じることがある」
 そう言って太公望は膨らみを持った腹を恐る恐る撫でた。その膨らみは明らかに不自然な、何かのカタマリが入っていそうな大きさのものだった。
「他の色々な症状と照らし合わせてみましても、妊娠の兆候と一致するのですが、なにぶん男が妊娠するなどという症例は少なくとも私たちの医学の常識ではあり得ない事なので、ここは仙人様にご意見を伺いたく……」
 困り果てた軍医が楊戩に意見を伺う。しばし考え込んだ後、楊戩は口を開いた。
「俄には信じがたいが、確かにこの膨らみ方は不自然だ。でも僕もここに居る者にも分かるものは居なさそうだし……ここはひとつ、生物兵器や仙道の病に詳しい専門家に診て貰った方がよさそうだ」

「なるほど……これは珍しい症例だ」
 あれから数日後、再び救護用テントの一角にて。太公望の膨らんだ腹を診察しながら、雲中子が興味深そうに観察する。崑崙山に急行した四不象の知らせを受けてやって来たのだった。
「で、雲中子、どうなのかのう」
「うん、間違いない、太公望は妊娠している」
「マジか……」
 雲中子にきっぱりと妊娠を告げられ、太公望を筆頭にその場にいた全員の顔に驚愕と信じられないという思いの入り混じった表情が浮かび上がる。
「しかし、本当に妊娠なのですか? 何かこう質の悪い寄生生物や宝貝に寄生されているということはないのでしょうか」
 まだ信じられないといった様子の楊戩の問いに答えたのは、よく分からない宝貝を携えて一緒についてきた太乙真人だった。
「いいや、それはなさそうだ。これを見てごらん」
 太乙真人が丸い鏡のようなものを掲げて皆に見せる。そこにはぼんやりとした不明瞭な像が浮かび上がっていた。
「これは私が作った医療用宝貝で照胎鏡といい、人体の中の様子を探る事が出来るんだ。この小さい宝貝が超音波を発して反射してきた音波を受け取り、その様子をこの大きな鏡に映し出すようになっている。で、これを今、雲中子が太公望の腹に当てているんだが」
 見ると、雲中子が黒くて大きな判子のような宝貝を持ち、太公望の腹に当てている。太乙真人の持っている方の大きな鏡に映っているものは、不鮮明ながらも手足と頭らしきものがあり、その形は人間の赤子と呼んで差し支えないものだった。時折僅かに身動きしているように見える。
「この通り、中に入っているのはごく普通の人の胎児のようだ」
「いや、そもそも男の腹の中に赤ん坊が入ってる時点で普通じゃないんじゃねえの?」
 雷震子がもっともな突っ込みを入れる。
「そうッスよ、大体何でご主人が妊娠してるんスか」
「そういえば、こんな話を聞いたことがあります」
雲中子や太乙真人についてきた白鶴童子が口を開いた。
「その水を飲んだ者は男女を問わず妊娠するという河の噂です。名は確か、子母河とかいう」
「その河はどこにあるッスか?」
 河と聞いて四不象が何かを思いついたかのような表情で白鶴に聞いた。それを聞いた太公望の顔にもまさか、とでも言いたげな表情が浮かび上がる。
「ここから遥か南の、ちょうどこの地から崑崙までの中間地点ぐらいでしょうか。なんでも、その河の流域にある国では女人しか住まず、彼女らは成人してからその川の水を飲んで子を成すという習わしがあるそうですよ」
「まさか……」
「ああ、やっぱり……」
 太公望は思い出した。四ヶ月前のあの暑い日、崑崙からの帰りに立ち寄った河で水を飲んだ時の事を。
「やっぱりって師叔、まさか身に覚えがあるんですか?」
「ああ、今から四月ほど前にな、崑崙に行って帰る途中の道で休憩がてら大きな川の水を飲んだのだ。きれいな水だったから大丈夫かと思ったのだが……」
「だから言ったじゃないッスか!川の水はやたらと飲まない方がいいって!」
「んなこと言ったって飲んだら妊娠するかもしれないとか誰が思うか誰が!」
 と、ギャーギャー騒ぎ始めた太公望と四不象を尻目に、鄧嬋玉が思わぬ方向への暴走を始める。
「それにしても太公望がおめでたとはねぇ。こうしちゃ居られないわ! ハニー! あたしたちも子作りするわよ!」
「おい、ちょっと待て、何でそうなるんだよ!」
 土行孫が思わず抗議の声を上げるも、その声は一顧だにされることはない。
「せ、蝉玉ちゃん、まだ式も挙げていないというのに婚前交渉なんて……パパは許しません!」
 暴走娘に待ったをかけたのはその父、鄧九公であった。だがその父の言葉も、暴走の方向性を斜め上方向に軌道修正するだけに終わる。
「確かにそうね、物事には順序ってものがあるわよね……ハニー! 結婚式を上げるわよ! まずは段取りを決めないと!」
「だから何でそうなるんだよ!?」
「いや、そういうことではなくて……その……」
 言い出したら一直線な娘のこと、土行孫の交際をやむを得ず許したとはいえ、結婚などまだまだ先のことだと思っていた鄧九公には心の準備が出来てはいなかった。だがそんな鄧九公を竜鬚虎が諫める。
「遅かれ早かれ、子どもはいつか親の元から巣立って行くものニャ。心で泣いて顔は笑って送り出すのが親の努めニャ」
「う、うむ、そうだな……これも蝉玉ちゃんの幸せのため……土行孫くん、ふつつかな娘だがどうかよろしく頼むよ」
「パパ! ありがとう!」
「いや、だからその……」
「センちゃん、お幸せにニャ」
「ありがとう竜鬚虎! あたし絶対幸せになるわ!」
「俺の意志を無視して勝手に決めるんじゃねー! 俺はまだまだ独身を謳歌したいんだ!」
「で、結局、わしこれから一体どうなるのだ」
 もはや全く無関係の方向に脱線したまま大騒ぎしている土行孫達を放置することに決め込んだ太公望が話を元に戻す。
「そうだねえ。見た感じ妊娠四ヶ月ってとこだから、順当に行けばあと六ヶ月ぐらいで生まれてくると思うよ」
「生まれるってどこから!?」
「さあそこまでは……いよいよとなったら帝王切開して取り上げればいいと思うんだけどね」
「せ、切開!?」
 切開と聞いて太公望の顔が青ざめる。
「まあ、案ずるより産むが易しとは言うし、その時になったらどうにかなるんじゃないかな。多分」
「た、多分て他人事だと思って! ……何とかならんかのう、なんかこう、赤子を流すような薬とか……」
「うーん、あるにはあるけど、あまりお勧めできないな。要は毒物を摂取するようなもんだから当然ながら母体にも負担がかかるし最悪死ぬ」
「う、うーむ、どのみち危険なことに変わりはないか……」
 と、すっかり頭を抱えてしまった太公望であったが、そこで白鶴が再び口を開いた。
「太公望師叔、そんなに悲観することもないですよ」
「何か手立てがあるのか?」
「はい。子母河から更に南の方に解陽山という山がございまして、その山に落胎泉という泉があるそうです。その水には赤子だけを溶かす力があるんだとか」
「そ、そうか、その泉の水を飲めば……!」
「僕としては今後の研究のために産んでもらった方が有り難いんだけどね……なにせ100%仙道の血を受け継いだ子どもからしてそうそう居ないし、しかも男の仙道が生んだ子なんて前例からしてまずないからね」
「たわけっ! そんなに研究したいのであればおぬしが子母河の水を飲んできて自分で産め!」
「成る程、その手もあったか」
「あのな……」
「そうだ哪吒、『弟』は欲しくないか?」
 それまで黙って雲中子と太公望のやりとりを聞いていた太乙真人が、ふと思い立ったかのように手をポンと叩いて言った。
「何の話だ」
「哪吒は今は蓮の花がベースになっているけど、元々は普通の人間の腹を借りて生まれただろう? あの時腹を借りたのは普通の人間の妊婦だったけど、もしこれが仙道だったらどうなっていたのかとふと気になったことがあってね。その時は崑崙で適切な人材はいなかったし、そもそも仙女が妊娠するような事自体ほぼあり得ないケースだったから、机上の空論のちょっとした思いつきだけで終わったけど、今丁度ここにお誂え向きの妊婦、いや妊夫がいる」
 そう言って太乙は目の前の妊”夫”の膨らみを持った腹を一瞥する。その意図を理解した太公望が激高する。
「だーっ! だからお主ら人の身体を実験台オモチャにするなと言っておろうがーっ!」
 激高してギャーギャー叫ぶ太公望の口から飛び散る唾を後ろに引いて避けながら太乙はなおも話を続ける。
「いやほら気にならない? 昔は人間で今は蓮の花ベースの肉体の哪吒でこの強さなんだから、元始天尊様の一番弟子でたった三十年の修行で仙人クラスに登り詰めた実力者である太公望のお腹の子に宝珠を移植したら一体どれほど強い仙人が生まれるのか……」
「俺よりも強い……」
「気にならない! あと、哪吒も真顔で考え込むなっ!」
「俺よりも強い宝貝人間の兄弟……面白い。悪くない響きだ」
「そうだろうそうだろう、いいだろう」
「だあーっ! そんなに哪吒弐号が作りたいなら太乙、おぬしが自分で産め!自分で!」
「それはちょっと」
「うううどいつもこいつも……わしの身に宿った命を何だと思っておるのだ」
「そんなこと言ったって何とかする方法ないのかってお師匠さんも真っ青になってたんじゃないですかー」
「いや! こうなったらもう腹を括ってわしはこの子を生む! そして男手一つで立派に育てて見せる!」
「えええーっ」
武吉始めその場に居た者全員が素っ頓狂な悲鳴を上げる。
「止めるな! わしはもう決めたのだ!命がけでこの子を生み、そして育てる覚悟を!」
「す、師叔、何もヤケになることはないさ……」
「そうと決まれば天化、わしの前では直ちにその煙草を辞めよ。妊夫に受動喫煙はよろしくないからのう」
「えーっ?」

 結局その後、冷静になった太公望の頼みにより、白鶴童子の案内で楊戩が解陽山まで赴き、落胎泉の水を汲んでくることで事無きを得たとか得なかったとか。

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