太乙真人が哪吒を作るために妊娠したお話です。
性行為の表現はありませんが、若干雲乙的な表現があります。
途中ちょろっとだけドドメチームが出てきて若干普太を匂わせる表言があります。
また一部で流産・死産の表現があります。
解釈と願望を詰められるだけ詰め込んで、辻褄を合わせるため色々とこねくり回しているうちに、気がついたら何だか長くてくどくなってしまいました。
注射針で受精卵(のようなもの)を注入して腹膜に着床させるあたりなんかはアーノルド・シュワルツェネッガー主演のコメディSF映画「ジュニア」を参考にしています。シュワちゃん演じる科学者が妊娠するというとんでもない映画です。めっちゃ面白いです。
「雲中子ー、ラボ貸してくれる? うちのラボの宝貝開発用の仙力増幅装置、哪吒に壊されちゃって」
ある日の午後、終南山の雲中子の元に哪吒を伴い、雑多な工具のようなものを抱えた太乙真人が訪れた。雷震子のメンテナンスが一通り終わって洞府の庭先で茶を飲んでいた雲中子は快く応じる。
「うん、いいよー」
「すまないねえ」
「さっさと修理しろ」
後ろからついてきた哪吒が太乙に言い放つ。太乙はやれやれといった顔でため息をついた。
「まったく君があんなことするからこんなことになってるんでしょうが。少しは申し訳なさそうにしたらどうなの」
「貴様が下手に俺の前に出て止めようとしたせいで手許が狂ったんだ。命が助かっただけでも有り難いと思え」
「大体ラボの中で試し撃ちすることないでしょ。あの装置に当たったらいくらバージョンアップした乾坤圏でも無事じゃ済まないって」
「うるさい」
ちなみに現在、爆発で壁に開いた大穴は全自動の修復宝貝で修理されている最中だが、仙力増幅装置の破損部分は時間がかかりそうなため、破損した乾坤圏を先に治すことを哪吒にせっつかれて雲中子の洞府まで機材を借りに来たのだった。
「あー哪吒……私、仮にも君の親みたいなもんなんだから、もうちょっとこう大事にしてくれてもいいんじゃないかと……」
「俺の親はお腹を痛めて俺を産んでくれた母上だけだ。貴様は親ではない」
君の父上の李靖は親のうちに入らないのね、と突っ込みを入れたくなる太乙だったが、敢えて黙っていることにした。と、そこへ雲中子が口を挟んでくる。
「成る程。でもその定義で言うなら太乙も君の親と言えるんじゃないかな?」
「どういうことだ?」
「君は昔、太乙のお腹の中に宿っていたことがあったからね」
その場に沈黙が訪れた。太乙が今それを言うかというような顔で頭を押さえる。哪吒は一見すると表情こそ変わらぬまま沈黙しているが、目が僅かに見開かれている。対照的に雷震子は目と口をこれ以上なく大きく開いた状態で固まっていた。そして、この空気を作り出した雲中子は涼しい顔で茶をすすっている。
「嘘だ」
ほんの一瞬、だがその場に居た者にとっては永遠と思えるような沈黙を破ったのは哪吒だった。極寒地獄から響いてくるかのような冷え冷えとした声に、雷震子ですらびくりと震え上がる。
「嘘なものか。まあ、厳密に言えばごく一時的にだけど、間違いじゃあない」
「俺を産んだのは母上だ。こんな男では断じてない」
「いや、その前に、太乙様って男じゃないのかよ? 男がどうやって子を宿したりするんだよ?」
我に返った雷震子が思わずもっともな疑問を口にする。その声に凍り付いて張り詰めていた空気がどうにか常温に戻った。
「勿論、最終的に哪吒をこの世に生み出したのは殷氏だ。でもその前にね、太乙のお腹の中で育てて産む計画があったんだよ」
そう言って、雲中子は哪吒の生まれる前の出来事を語り始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「生身の人体を人工的に作り出す方法?」
今を遡ること数百年前、終南山は玉中洞の雲中子の元に太乙真人が訪れ、ある相談を持ちかけた。
「うん。今私が作っている霊珠の核の部分に関してはおおむね完成したんだけど、肉体の部分に関してはやっぱ生身の人体をベースにした方がいいかと思って。生物の研究に関しては雲中子、君の方が造詣が深いから、知恵を拝借したい」
「成る程。そういうことか。ちょっと調べてみよう」
雲中子は暫し考え込んだ後、洞府の書庫に赴き、巻物や書物をあちこちから引っ張り出して調べ物を始めた。
「うーん……やっぱり完全な人間を作るには、人間の胎内で発生させて育てるしかないようだね」
しばらく後、洞府の書庫内でうず高く積み上がった書物や巻物の積み上がった机に向かった雲中子は、向かいに座った太乙真人に広げた巻物の一部を指し示した。
「まがいものの人体で良ければ、この書のここんとこに載っている『金丹』を使えば、蓮の花と魂魄をベースに人形を成したものを作ることが出来るけど……」
「あ、それ、やってみたけど無理だった。魂魄が上手いこと吸着しないの。この霊珠の中には魂魄の元になるようなエネルギー体はあるけど魂魄と呼ぶにはまだ未成熟で安定していない。霊珠の魂魄は肉の器に入れることで完成して成長することを想定しているから、既に完成した魂魄があること前提になってるこの方法は無理っぽくて」
なお、この方法は後に一度死んだ哪吒を蘇らせるときに役に立つ事となる。
「そうなると、結局現在のところは、人間を作るとなると人間の胎内で作るのが一番確実のようだ」
雲中子が脇に置いてあった別の書を取り出してきて、太乙真人の前に広げる。
「ここに書いてあることによると、卵精丹という極小の仙丹を人間の胎内に埋め込む方法がある。胎内に埋め込まれて母胎に着床すると、母胎から血と栄養の供給を受けながら胎内で大きく育ち、十月十日後には生まれてくるというものだ」
「そうなると着床させるための母胎が必要になってくるのか。培養槽的なものの中で作り出すとか、そういう方法はないのかな?」
「人体からは完全に独立した人工子宮の研究に関してはまだ成功例がないようだ。育てるにはどのみち人間の胎内で育てる必要がある」
「うーむ。しかし母体をどうするか……まさか人間の女性を連れてきて被検体になってもらうのは色々と問題があるし」
「いや、別に女性である必要はないらしい」
「どういうこと?」
「卵精丹は男の腹でも着床させて育てることが出来るんだ。というより、元々は男の腹でも赤子が作れるように開発された仙丹だそうだからね」
「一体なんのためにそんなものが……いや、それよりそれ、どこにどうやって着床させるの?」
「女の場合は子宮があるけど、男の場合は腹膜に着床させることになるようだ。そのまま腹腔内で胎児を育てて、生まれるときは帝王切開だね。で、どうするの?」
ほんの一瞬の沈黙の後、太乙真人は答えた。
「もちろんやる。私の腹に卵精丹を注入し、育てた胎児に霊珠を移植する」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「おい、ちょっと待て、ほぼ即答だったのかよ」
雷震子が驚愕に目を見開いて師の話を遮った。
「だって他の誰かに頼むとか出来ないし、それしかないだろう」
当然と言わんばかりの顔で代わりに答える太乙真人に雷震子は驚愕を隠せないまま問い詰める。
ちなみに彼らは現在、洞府内のラボに移動して太乙真人が哪吒の乾坤圏の修理をする傍らで話していた。
「だからってそんな、少しは迷うとかなかったのかよ? 普通に女が子を産むのすら命がけだってのに」
「うーんまあそうだけど……でもそんなことは些事だろう?」
「バカ師匠も止めなかったのかよ?」
「何で? 太乙がやるって言ったんだし、貴重な実験結果が取れる千載一遇のチャンスなんだから、止める理由が分からないよ。大体、太乙がやらないと言った場合は、私の腹で試してみるつもりだったし」
「わけわかんねえよ……」
雷震子は頭を抱える。雲中子の狂科学者っぷりは散々改造された我が身を以て知っていたつもりだったが、己の身すら顧みないというのは彼の理解出来る範疇を超えていた。そんな弟子を尻目に、雲中子が再び口を開いた。
「それより、続きを話してもいいかな?」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「卵精丹が完成したって?」
「ああ。つい昨日完成したところだ。ここにあるのがそれだよ」
あれから数年、雲中子は卵精丹を煉り上げ、太乙真人は霊珠に最後の仕上げを施した。卵精丹完成の報を受け、太乙真人は早速終南山玉柱洞を訪れたところであった。
「これが卵精丹か」
試験管の中には透明な液体の中に肉眼で見えるか見えないかぐらいの小さな小さな赤い点のような丸薬が浮かんでいた。
「そう。丹砂と汞を始めとした七十二種類の材料に別々の人間二人の血を一滴ずつ加えて練り込んだものを十月十日の間焼煉し、それを七年と七ヶ月の間天地の霊気に触れさせたものだ」
「で、それに使った二人分の血が私たちのか……」
太乙真人は洞府内の研究室で血液や尿の検査、血圧の測定や検温など各種のチェックを受けた。
「身体の状況は問題ないようだね」
「体調すこぶる良し、この日のために節制して準備万端に整えたからオールグリーンだよ。もっとも、柘榴ばっかり食べていたのは流石に飽き飽きしていたけど……」
検査着に着替えた太乙真人が苦笑した。検査データを確認しながら雲中子が答える。
「柘榴には女人の精気が宿っているからね。妊娠を成功させるには欠かせない。今後も妊娠継続中は毎日一つずつ食べてもらうよ」
「うわぁ、私そのうち女人になりそうだな……」
「少なくとも乳房は多少膨らんでくるかもしれないね。さ、そこに横になって前開けて」
検査データの最終確認を終えた雲中子は太乙真人に診察台の上に横たわるように促した。言われるままに太乙真人は診察台の上に横たわると検査着の前をはだけた。肉のついていない白い腹が露わになる。雲中子は太乙のへその少し下の腹に手を添え、ついでもう片方の手に持った黒い大きな判子のような器具を太乙の腹に滑らせた。
「えーっと……使い方はこれで良かったっけ」
「そうそう。あ、もう少し押さえる力を弱くして」
診察台の横には直径一尺ほどの円形の鏡が据え付けられており、そこに不明瞭な白黒の像が浮かび上がっている。鏡と判子は太乙真人が作り上げた宝貝で名を照胎鏡と言った。超音波を発生させて人体の腹の中の様子を探ることが出来る、言わば腹部エコーのような宝貝である。
「この位置に腹膜の空洞がある。ここに卵精丹を注入するよ」
雲中子は酒精を帯びた綿で太乙のへその周りを拭い、消毒した。そして診察台の傍らの台の上の注射器を取り上げるとアンプルの中の液体を吸い上げて準備を始めた。
「う……またでっかい注射器だな」
大振りな注射器を目にした太乙が若干怯んだ表情を見せる。雲中子は注射器を指で弾いて中の空気を追い出しながら、太乙を安心させるように説明した。
「この中に入っているのが卵精丹だ。生理食塩水と一緒に注射するよ」
「あまり痛くしないでくれよ」
「大丈夫、すぐ終わるから。ほら、リラックスして力を抜いて……」
太乙真人は身体の力を抜いて診察台に身を預け、ゆっくりと息を吐いた。雲中子は片方の手で照胎鏡の端子を太乙の腹に当て、もう片方の手で注射器を太乙の腹にそっと宛がい、静かに針を刺した。身体を貫かれる痛みに太乙が一瞬、ぎゅっと目をつぶる。
「……うぅ」
「ほら、力を抜いて、私に身を任せて」
雲中子は鏡の様子を見ながらある位置まで針を進めると、ピストンを押して中の液体をゆっくりと太乙の体内に注ぎ込んだ。
「入った?」
針を抜かれた後、太乙は額に浮かんだ汗を拭うと、横たわったまま雲中子を見上げ、若干かすれた声で問うた。雲中子は片方の手で酒精綿で針を刺した箇所をそっと押さえたままもう片方の手で注射器を台の上にそっと置いた。
「うん。これで成功すれば腹膜に着床するはずだ。向こう数日は絶対安静。経過を確認するためしばらく研究室に泊まってもらうよ」
「どう?」
「ちょっと待って、今試薬を入れる」
あれから一週間後。玉柱洞の研究室にて、雲中子と太乙真人は一本の試験管を注視していた。中には先ほど採取したばかりの太乙の尿が入っている。雲中子が手に持った試験管に試薬を二、三滴垂らし、試験管の底部をそっと左右に揺らす。やがて試験管の液体は青色に染まった。
「陽性反応だ。おめでとう、太乙真人。君は無事に妊娠したよ」
「本当か!? ああ、ついにやったぞ! 宝貝人間誕生への輝かしい第一歩だ! ありがとう雲中子!」
「喜ぶのはまだ早いよ。当分、注意深く経過を観察する必要がある。それまで無理はしないように。三日後もう一度検査して異常がなければ君の洞府に帰ってもいい。帰ってからも毎朝基礎体温を測るのを忘れないように」
「勿論だ。ああ、生まれてくる日が楽しみだ……」
太乙は愛おしげに己の腹を撫でた。
「太乙、元気?」
あれから三ヶ月ほどたった日のことだった。雲中子は乾元山の太乙真人の洞府を訪れていた。太乙真人の妊娠の経過を診るため定期的に往診に来ていたのだった。
「うー、あんまり……」
太乙真人は洞府の庭先にあるハンモックの上から動けずぐったりしているようだった。
「毎日眠くてだるくて気持ち悪くて何も出来やしないよ。身の回りのこととか最低限のことはこいつらにやってもらってるんだけど……」
太乙真人が指し示した洞府の厨を見ると、黄金力士を小柄な人間ぐらいのサイズにした二足歩行宝貝が洗い物をしているところだった。太乙真人が手許にある石版のような小型端末を操作すると、皿洗いをしていた一台が作業を中断してお茶を入れ、茶碗を載せた盆を運んできて二人の傍らにあった卓に置いた。
「まあ、妊娠初期のつわりは大体避けて通れないからね。もう二月もすれば治まってきて楽になるからそれまでの辛抱だよ」
「まだそんなに続くのか……」
げっそりした顔で手足を投げ出し、ハンモックに沈み込む太乙真人であった。雲中子は席について茶を飲みながら問診を続ける。
「他に最近変わった事は?」
「食の好みが変わったかな。何故か無性に無花果ばかり食べたくなって、このところそればかり食べている。昔はどちらかと言えば好きじゃなかったんだけど……」
「無花果は不老長寿の果実にして、カルシウムと食物繊維も豊富だからね。妊娠中にはどんどん食べてもらって構わない。但し、他の栄養素もバランス良く取るのは忘れないように。あと、毎日の基礎体温と体重のデータはある?」
「毎日欠かさず記録してるよ。ちょっと待って今出すから」
太乙真人が再び小型端末を操作すると、端末の上部の空間に数値の記録された表が浮かび上がった。その状態で端末を太乙は雲中子に渡す。
「はい、これ直近一ヶ月の記録。あと尿検査と血液検査データも昨日やっといたのが入ってる」
「うん、順調なようだね。体重の増加も予測通りかな。触診するからお腹出して」
そう言われた太乙真人は道服をまくり上げて雲中子に腹を見せた。わずかに膨らんだ腹の下には、確実にもう一つの生命の息吹が息づいていた。
「太乙真人、赤ちゃんが出来たんだって?」
それから数ヶ月後、元始天尊の元へ宝貝人間開発の経過報告に行った帰り、太乙真人と雲中子は玉虚宮の廊下で偶然出会った普賢真人に声をかけられた。彼と一緒にいた太公望も興味深げに太乙の大きくなった腹を見てくる。
「噂には聞いておったが随分と大きく育ったのう」
「そ、もう妊娠九ヶ月なんだ」
太乙真人が腹を撫でながら、嬉しそうに答える。彼の腹は今や道服の上からでもはっきりと分かるほどに大きくなっていた。
「これだけ大きいと歩くのも大変そうだねえ」
「まあ、流石に階段の上り下りは辛くなってきたよ。玉虚宮に昇降装置を作っておいて良かった」
「それにしても、赤ちゃんなんてどうやって作ったの?」
「私が彼の腹の中に生命の元を注入したんだ」
「そうそう、このお腹の中に居るのは私と雲中子の技術と情熱の結晶でね」
普賢真人の問いに雲中子と太乙真人は揃って誇らしげな表情で答えた。間違ってはいないが確実に誤解を招く表現である。いや、ある意味では誤解とは言えないないのかもしれない。
「お主ら、そういう関係だったか……流石は狂科学者コンビ」
「何はともあれおめでとう。きっといい子が生まれるよ」
それに対し、若干引き気味で呟く太公望と、満面の笑みで祝福の言葉を述べる普賢真人であった。
「それにしても赤ちゃんかあ。僕らも家族が欲しいねえ、望ちゃん」
「なぜわしに振る」
「ね、望ちゃん、産んでくれる?」
「しかもわしが産むんかいっ!」
「確かに太公望なら元気な子が産めそうだ」
「どうかな太公望? 妊娠可能かの検査だけでも」
「だから何故わしが産む前提になっておるのだっ! 太乙も本気にするでない! あと雲中子はどこから出したか知らぬがその謎の検査器具を引っ込めよ!」
そんなふうに玉虚宮の廊下でわいわいと騒いでいると、白鶴童子が通りかかった。これ幸いといった顔で太公望が白鶴童子に声を掛ける。
「お、おお、白鶴ではないか」
「おや、太公望師叔。それに皆様お揃いで」
「太乙のお腹の子の話をしておったところだ」
「それはそれは。太乙真人さまのお腹のお子の噂はかねがね聞き及んでおりましたよ」
白鶴童子が話の輪に加わり、自分が狂科学者共の注目の的から外されたことで太公望は内心ほっと胸をなで下ろす。
「その様子ではもう生まれるのも間近のようですねえ」
「そうなんだよ。胎動もすっかり活発になってね、最近じゃよくお腹の中から蹴って来るんだよ。あっ、今動いた」
「おお、どれどれ、触ってもいいかの」
「どうぞどうぞ」
太公望が太乙の腹を触っているのを見て、白鶴は何かを思い出したように口を開いた。
「妊娠といえば、陳塘関に不可思議な妊婦がいるそうですよ」
「ほう。してどのような」
「陳塘関の総兵の夫人だそうですが、なんでも身籠もって三年近くになるものの、お腹の子が一向に生まれてこないそうです」
「三年も出てこない? それはまた随分と生まれつきの引きこもりが居たもんだねえ」
「いや、それはもう引きこもりとかそういうレベルではないと思うぞ普賢……」
「なんでも、彼女の夫である李靖がかつて度厄真人の弟子だったことがあるそうで、奥方のお腹の子がなかなか生まれてこないのを不安に思って最近相談に来られたそうなんですが、どうも赤子の魂魄の方に何か問題があるのではないかとか、そういう話でして……」
「それはまた不可思議な事もあるものだねえ。ところでさ、望ちゃん」
「なんだ」
「望ちゃんは男の子と女の子どっちがいい?」
「その話まだ続いておったんか! だからわしは産まぬと言うておるに!」
「おや、太公望師叔と普賢師叔もお子を?」
「うん。もうそろそろ欲しいんだけど、望ちゃんがなかなかその気になってくれなくて……」
「だからなんでわしが」
「それはそれは。でも、大丈夫ですよ、お二人なら時満ちればきっと子宝に恵まれます」
「うん、そうだといいね」
「わしもうどっから突っ込んでよいのか分からん……」
「もう、いつ生まれてもおかしくないよ。霊珠の方は大丈夫なのかい?」
雲中子が太乙真人の腹に照胎鏡を当てながら言った。太乙の腹は既にはちきれんばかりに膨らんでおり、鏡にははっきりと人間の赤子と分かる影が映っていた。
「そこは抜かりないよ。生まれる間際の胎児に霊珠を移植すれば、間もなく陣痛が始まって出産が可能になるように設計した。バグ取りもテスト駆動も完了したし、人間の死体を使っての臨床実験も結果良しだ」
「死体?」
「死者が出たばかりの家を探知して、その家の者に事情を話して死体を譲ってもらったりしてたんだ」
「なるほどね。しかしそれなら、その死体を使って宝貝人間を作るというのは出来なかったのかい」
「それも考えたんだけど、結論から言うと死体を使った宝貝人間は実用不可能だった。死体ってのは、死体になってる時点で生命機能を維持できないぐらいに損傷しているもんだし、それを無理矢理修復して霊珠を埋め込んだとしても長くは持たないんだよね」
「なるほど」
「そもそも死にたてで鮮度の高い死体を手に入れる事自体が困難だったし。回収した時には腐敗しかかってるのが多くて、仮に死後間もない死体でもその後の処理が難しかった」
「言ってくれれば防腐用の薬剤を処方したのに」
「あと、一度に複数の死体が手に入った時、無事な部分をつなぎ合わせて一つの人体を作るっていうのもやったことあるんだけど、そもそも起動してからまともに動けず、すぐに元の死体に逆戻りして無理だった」
太乙が嫌なものを思い出したような表情で身震いする。
「ああ、それはやめた方が良い。私も一度、猿と虎と狸と蛇の死体を継ぎ合わせて新種の生物を作り出そうとした事があるんだけど、見るも無惨な事になったよ」
「なんだ、雲中子もやったことあるのか」
「で、霊珠の移植はどうやって行うんだ?」
「物質転送宝貝を使う」
「普賢真人の太極符印の技術を応用して作られた宝貝か」
「そ。ごくごく近距離の転送にしか使えないけど、霊珠の移植にはぴったりだからね。あれを使って霊珠を一旦量子レベルにまで分解した後、座標を私の腹の胎児に設定した上で転送して胎児の胎内で再構築する」
「分かった。直ちに準備に取りかかろう」
「カメラ準備OK。映像記録宝貝の準備よし」
「八月八日、午前十一時。場所は終南山玉柱洞研究室。これより私、太乙真人の胎内の胎児に霊珠を転送する。移植完了後、帝王切開にて胎児を分娩する」
部屋全体がよく見える位置に設置された映像記録宝貝にしっかりと目線を向け、簡易な検査着に着替えた太乙真人が記録用の音声を吹き込んだ。
「よし、いよいよだ。始めるぞ」
カメラに向かってピースサインをした後、太乙は研究室内に設えられた手術台に向かった。その横には照胎鏡と、蓮の花を模した台座に八卦図の描かれた装置が設えられていた。太乙が乾元山から持ち込んだ物質転送用宝貝である。
太乙真人は八卦図の中央に霊珠をそっと設置すると自分は手術台に横たわった。雲中子が照胎鏡の探触子を太乙の腹に当て、胎児の位置を測定しながら物質転送宝貝のコンソールに座標を入力する。
「座標位置確定、これより霊珠の転送を開始する」
雲中子が操作盤のレバーを押し上げると、台座の上の霊珠が光に包まれる。光が消えた時には霊珠は影も形もなくなっていた。再び雲中子が太乙の腹部に探触子を宛てがい、確認すると、胎児の体内で霊珠が同化している像が鏡に映し出された。
「転送完了。霊珠の転送は成功だ」
「よし、後は陣痛が起こるのを待つばかりだな」
そして、霊珠が太乙の腹の中に転送されて数分後の事だった。
「うっ、痛……い……っ」
太乙が急に腹を押さえて苦しみ始めた。雲中子は手術の準備に取りかかる。
「よし、陣痛来たか。予定通り直ちに帝王切開に取り掛かる。麻酔をするからーーん?」
太乙の様子に違和感を覚えた雲中子は思わず手を止めてその様子を凝視した。
「太乙?」
太乙真人の身は小刻みに震えていた。事前に十分な下調べを行い、必要な知識を完全に頭にたたき込んだとはいえ、実際の出産に立ち会った経験などない雲中子だったが、陣痛にしては明らかに様子がおかしいことを直感的に悟った。
「おい、どうした、太乙、しっかりしろ!」
「ああ、まさか……そんな……これは……嫌だ!あああああ!」
雲中子が慌てて照胎鏡の探触子を太乙の腹に再び当てるも、映像が乱れてまともに像を結ばず、胎児の状況を把握できない。
「太乙!」
「あ……が……が……ぐああああああっ……!」
手術台の縁を手が白くなるほどに握り込み、太乙が背を仰け反らせ絶叫する。途端、バシッという音と共に太乙真人の腹が弾けて光と共に何かが飛び出し、周囲に大量の血飛沫を撒き散らした。飛び出したものは霊珠だった。飛び出した霊珠は壁に激突し、血まみれのままコロコロと床に転がった。太乙は一瞬ぐるり、と白目を剥くとがくりとそのまま意識を失った。
「太乙! おい! 太乙!」
呼びかけても太乙は応答しない。血の気を失った咽に触れて脈を確認すると弱々しいながらもどうにか脈打っている。それを確認した雲中子は緊急手術の準備を開始した。
「う……」
次に太乙真人が目を覚ました時、目に入ってきたのは意識を失った時とは違う天井だった。首だけを動かして辺りを見回すと、どうやら今自分がいるのは玉柱洞の研究室の一角にある寝台の上であるらしいことは理解できた。部屋の中央には雑多な実験器具が積み上げられた机があり、その前で雲中子が何やら作業をしている。
「雲中子……」
「お、太乙、目が覚めたか」
太乙真人の声に雲中子は振り返り、寝台の近くまで歩み寄ってきた。
「痛むところはないか」
「胎児は……霊珠はどうなった……ぐっ」
腹に意識をやった途端、太乙真人に鈍痛が襲いかかってきた。慌てて触れると、膨らんでいた腹は元の大きさに戻っている。その中でつい一昨日まで確かに息づいていた生命の気配が完全に消え失せ、何も残されていないのを太乙ははっきりと悟った。
「ああ、そんな……どうして」
「まだ起き上がらない方が良い。傷を縫ってからまだ一日半しか経ってないから」
太乙真人は震える手で己の腹をなぞった。包帯が巻かれているため、傷口に直接触れることは出来ない。が、元の通り真っ平らに戻った腹は、嫌が応にもその中に居た胎児を失ったことを太乙に突きつけていた。
「霊珠を入れた途端に胎児が破裂して霊珠が弾き出されたんだ。その衝撃で胎児の肉体は破損。あの後すぐに胎児の残骸を摘出して傷を縫合した。痛むなら今、鎮痛剤を打つから……」
「なんで……どうして……」
太乙の耳に雲中子の声は届いていなかった。茫然自失の体で震えながら呟く。両眼から涙がこぼれ落ちた。が、次の瞬間はっとしたように顔を上げる。
「そうだ、霊珠……霊珠はどこに……ぐうっ」
太乙は震えながら身を起こし、寝台から降りようとした。途端に腹部の傷跡に激痛が走る。雲中子が動こうとした太乙を慌てて留めた。
「駄目だ、まだベッドから降りるのも起き上がるのも許可できない」
「離してくれ雲中子……霊珠を……霊珠を探さないと……」
「霊珠はここだ。ここにちゃんとあるから、ほら」
そう言って雲中子が寝台脇の小机から霊珠を取り上げると太乙に手渡した。血は既に拭き取られている。
「流石は君の技術の集大成、外殻には傷一つついていない」
「良かった……中身も無事みたいだ……」
素早く検分して状態を確認すると、太乙真人は霊珠を胸に抱いて肩を震わせながら嗚咽し始めた。両眼からは大粒の涙が溢れ続けている。
「ごめん……産んでやれなくてごめん……霊珠……」
霊珠を抱えたまま、太乙はずっと嗚咽し続けていた。雲中子は何も言わずその様子を見守っていた。
太乙真人が回復し、自分の洞府に帰ることが出来たのは、それから二週間後のことだった。病床についている間、彼は始終無言で話しかけてもろくな返事を返さず、日がな一日ただぼんやりと天井を眺めているばかりだった。玉中洞を立ち去る日、世話になった、とだけ告げて乾元山に帰って行く太乙真人の後ろ姿を雲中子は何も言わずに見送った。
「あいつ、大丈夫なのかい」
太乙真人を心配して見舞いに来た清虚道徳真君が聞いた。もっとも彼が来た時、太乙真人は既に自分の洞府に帰った後で玉柱洞には居なかったが。
「さあね」
「さあねって……彼は子を喪ったばかりだと言うのに。少しは心配にならないのかい。大体、君だって子どもの父親みたいなものだろうに」
「宝貝人間の制作に材料として必要だったから遺伝情報を提供しただけだよ。そもそも、太乙が腹を痛めたのは霊珠の器となる容れ物を用意する必要があったからだし」
「そんな、仮にも腹を痛めて産もうとした子どもだろう。子を喪って悲しくない親はいないよ」
「どうかな。彼の子と言うのならそれは死んだ胎児じゃなくて霊珠の方だと思うね。太乙が諦めない限り、霊珠子は死んでいないよ」
それから更に一月ほど経ったある日、太乙真人が再び玉柱洞に訪れた。
「雲中子、あの時、記録していた映像は」
挨拶もなしに洞府の研究室に飛び込んできた太乙真人は開口一番に聞いた。
「勿論ちゃんと保存してあるけど」
「見せてくれ。今すぐ確認したいことがあるんだ」
「分かった、準備する」
雲中子は太乙がただ悲しみに暮れて心の殻に閉じこもっていただけではないことを知り内心安堵した。この男はまだ宝貝人間の開発を諦めていなかったのだ。
映像宝貝を設置し、映像の再生を開始した。霊珠が入った後、己の腹部が破裂し、霊珠が飛び出す瞬間で太乙は映像を止める。
「やっぱりだ。この光は魂魄の発するものだ」
コマ送りで拡散する光を確認しながら太乙は確信を得たように言った。雲中子は黙って聞いている。
「事前に死体を使って検証した時は何度やってもこんな現象は発生しなかった。生体に入れた今回に限って暴発した。死んだ人体と生きている人体での差異は何か。それをずっと考えていたんだが」
コマ送りを止め、光が発する瞬間で停止した映像の一部分を拡大し、それを指し示して太乙は話を続ける。
「魂魄の有無だ。死体は完全に魂魄が抜けきったものばかりだった。だが、胎児には魂魄がある。つまり、今回の失敗の原因は……」
「胎児の魂魄による拒絶反応か」
「そういうことだ。霊珠は元々その中に込められた魂魄に近いエネルギー体をリソースとして稼働する。それが、胎児の中に元あった魂魄と干渉し、胎児の魂魄は霊珠を異物と見なして追い出そうとするわけだ。そして排除に抵抗した霊珠が暴走、その結果、胎児の肉体は耐えきれず、滅びてしまったというわけだ」
述べ終えると、太乙は話し疲れたようにしばし沈黙した。そして再び口を開く。
「問題は魂魄の干渉をどう解決するかだ。死体なら拒絶反応は起きないが、長くは持たない。生体は魂魄による拒絶反応が起こる。これを解決するには魂魄がない生体を使うしかない」
「だが、胎児から魂魄だけを取り除く方法なんて難易度の高い術を使える者はそうそう居ないぞ。私でも流石に魂魄は専門外だ。第一、もう一度妊娠する気か?」
「いいや、その必要はない」
太乙真人が言った。
「一つだけ心当たりがある。以前、白鶴童子に聞いた、三年間も生まれてくる様子のない胎児の話だ。あの後、度厄真人に詳しい話を聞きに行った。彼の見立てによると、お腹の子の魂魄は死んでしまっているが、肉体だけが何らかの理由で生き残ってしまっており、それで生まれ出てくることも死んで流れてしまうこともなく母親の胎内に留まっているのだろうとのことだった」
「その胎児を使うつもりか」
「ああ」
太乙真人は静かに、だがきっぱりと言った。
「今度こそこの子を、霊珠をこの世に生まれさせて見せる」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「それから先は哪吒も知っての通り。陳塘関の李靖の妻殷氏、つまり君の母上の腹に霊珠を託したというわけだ」
話が一区切り終わり、雲中子は入れ直した茶をすすった。話している間に哪吒の乾坤圏の修理は終わり、一同は再び玉柱洞の庭先に戻って来ていた。
「というわけで以上が哪吒、君が生まれてくるまでの経緯だ」
「結局俺を産んだのは母上であることに変わりはないだろう」
「ま、そうなんだけどね。一時的にとはいえ太乙のお腹に君が居たのは事実だし、何よりそこまでして君をこの世に生み出そうとしてくれてたんだから、もう少し大事にしなさいな」
「フン、俺を作ったのはこいつの都合だ。俺は関係ない」
「まあ、確かにそれを言われると否定できないな」
太乙真人が苦笑する。
「話が終わったのなら帰る」
苦笑する太乙を一瞥すると、哪吒はこれで用は済んだとばかりに洞府の庭先から風火輪で飛び去って行った。
「あ、ちょっと。もー全く勝手なんだから……じゃ、私も帰るね。雲中子、ラボ貸してくれてありがとう」
「ん、じゃあね」
置いてけぼりを喰らった太乙は挨拶もそこそこに黄金力士に乗ると哪吒を追って自分の洞府に帰って行った。後には洞府の主である雲中子とその弟子である雷震子だけが残された。
「さて、随分と長話になってしまったな。雷震子、茶器を片付けておいてくれ」
それにしても、と洞府の奥に引っ込んでいった師父の後ろ姿を見て雷震子は思う。もし太乙の腹に宿った赤子に霊珠を埋め込むことに成功していたとしたら、今頃は太乙真人と雲中子の血を引いた宝貝人間がこの世に存在していたということになるのか。そのことに思い至った雷震子はげんなりした顔で呟いた。
「今の哪吒も十分とんでもねえのに、その上この変人二人の血を引く宝貝人間って一体どんな化け物になってたんだよ……」
雷震子の呟きは誰にも聞きとがめられることはなく、終南山の清々しい大気の中に消えていった。
《了》