日差しの中で

現代世界のどこかで伏羲がデイトレーダーやりながら外こもりしている話です。
筆者はデイトレでのFXはやったことないので描写あってるかどうかは分かりません。だいぶテキトウです。

 薄暗いネットカフェの中は外からの光が差し込むことがなく控えめな暖色の照明だけで照らされており、昼も夜も関係ない時間が流れていた。人の背より少し高いぐらいのブースで区切られた小部屋が並ぶ中、その一畳にも満たない狭い空間の一つに彼は居た。そこらにいる若者と同じようなTシャツとジーンズを身につけている年端もいかぬその少年が、かつて始まりの人と呼ばれ、この星を影で支配する存在との激闘の末、人間と仙道の手に運命を取り戻した者、伏羲であろうとは誰が知るだろうか。
 伏羲のいる席はトリプルモニタになっているタイプの席で、ただでさえそれほど広くない机の上の空間に三台のモニタが押し込められるように並んでいるせいで更に圧迫感を醸し出していた。彼の目の前にあるモニタのうち一枚には空のブラウザが立ち上がっており、後の二枚には十数枚のチャートが整然と並んでいる。
「む?」
 伏羲はモニタ上のある一点に目をとめた。画面上に十数並んだチャート図の中のある一つの中、黒い背景に浮かび上がり絶え間なく上がり下がりを繰り返す青と赤のローソク足に、妙に気になる動きがあるものがあった。
「どうもダウ先が不穏な動きをしておるな……」
 ブラウザを立ち上げて情報を検索しながらも他の二枚のモニタに表示されたチャートから意識を逸らすことはない。伏羲は何やらきな臭い動きを感じていた。実のところ、今日はまだ目標の利益を得られていなかった。しかし少しでもきな臭い動きをする中で欲をかいてはその焦りが命取りにつながる危険性がある。
「今日はこれで終わりにするか……」
 そう言うと伏羲は全てのポジションを手放し、手仕舞いする。途端、それまではじわじわと下がる一方だったドル円のグラフが長い下ヒゲを付け、あれよあれよという間に吹き上がるような右肩上がりの線を描いて上がっていく。
「間一髪であったか……」
 あのままショートポジションを保持していれば、とんでもない大損を出していたところだった。伏羲は思わずほっと息を吐く。
「あーあ……さて」
 立ち上がって大きく伸びをした後、伏羲はネット証券のページからログアウトしてパソコンの電源を落とすとそれぞれのモニタの後ろのHDMIポートからスティック型PCとその給電コードを抜き取り、席を立ってネットカフェを後にした。

 人混みの中、見覚えのある姿を伏羲の目は捉えた。人混みよりも頭一つ分高い位置に一瞬ちらりと見えた青い髪。その姿を確認した伏羲は人混みの中を縫うようにかき分け、さりげなくその人物の隣に並ぶと声をかけた。
「今日はいつもの格好ではないんか」
「こんな場所をいつものあの格好で歩いたりしたら、流石に浮きまくりですからね」
 返答する楊戩はいつもの青い道服姿ではなく、伏羲と似たり寄ったりの簡素なTシャツとジーンズ姿であった。
「このところ貴方が蓬莱島に帰ってこられる気配が全くないので、僕の方から来てしまいました。それにしても、始まりの人ともあろう方が、デイトレで日銭稼ぎですか」
「近頃は占いもさっぱり流行らなくてのう。それにこちらの方がわしには面白い。市場というのは力を持つ者の思惑で動かされているようでいて、それ以上に大きな人の意思を離れたどうしようもなく大きな力で動かされているようでな」
「大いなる力……歴史の道標的な何かではなくてですか」
「そういうものではなく、この世に在る全ての人間の一つ一つの意思が集まって小さな流れとなり、やがて大河になるようなものだ。一つ一つが小さな力であっても相互に影響を及ぼしあい意思と意思がぶつかり合うことで、結果ひとつの巨大な生き物のような意思の集まりが生まれる。国でさえも時としてその流れに逆らえず流れを操ろうとするつもりの者が手綱を取れず流されることもある。これが面白くないわけがなかろう」
 そう言って伏羲がにかりと笑うと楊戩は肩をすくめながら言った。
「デイトレもいいですが、ほどほどにしてくださいよ」
「案ずるな、追証で根こそぎ持って行かれるような下手な真似はせんよ」
「そうではなく、あなたが介入することで相場に何らかの影響が及ぼされたらどうするんですか」
「なんだそっちか。てっきり心配してくれているのかと思ったら」
「あなたがそんなヘマをするとは思っていませんよ。大体あなた、人間世界への干渉はしたくないんじゃなかったんですか」
「日銀砲ではあるまいし、わしにそこまでの資金力はないよ。安心せい、言われずとも市場全体に影響を及ぼすような規模の大きな取引はせん」
「ならいいですが……それより、この間当局が個人口座の差し押さえをしていたようですけど、大丈夫だったんですか」
「そこは抜かりない。中国国内の証券会社の口座ではなく米国の証券会社で口座を開いておるからな」
「というか、よく貴方が証券会社の口座なんて開けましたね」
「なに、そのぐらいわしには朝飯前というか、ちょっとした裏技を使ったまでよ」
「まさか違法な事とかしてないでしょうね。あと脱税とかで逮捕されたりするのも勘弁してくださいよ」
「しとらんしとらん。それに源泉徴収口座になっておるからそのへんは問題無い。大体、確定申告など七面倒な事をやっておれるか」
「でしょうね。貴方であれば心配する方が野暮というものでしたか」
 どこか安心したように言うと、楊戩は眼を細めて雲一つ無い空に視線を送った。春とは言うものの気候は実質的に夏のそれで、日差しは強く気温も高い。
「それより、貴方、いつまで人間界に……」
 そう言いながら楊戩が再び隣にいた連れ合いに声をかけようとした時、既にその場所からは伏羲の姿は消えていた。まるで最初からいなかったかのように。
「全く……行方を眩ますのだけは昔から上手いんだから」

《了》

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