鬼哭街の世界をベースにして攻殻機動隊成分を加えた近未来の上海を舞台に、封神キャラがパラレル設定で出てくるサイバーパンクなお話です。
今回は殷氏と李靖が出てきます。全年齢向けですが最後にほんのちょっとだけナタ乙要素あります。
鬼哭街というより攻殻パロになってきました。そんなわけでタイトルと扉絵も攻殻風にしてあります。
ある日のことである。金光義肢公司本社ビルの前に、一台のメルセデスベンツ製のSV(スラストヴィークル=空を飛ぶタイプの車)が停車した。中から降りてきたのは夫婦と思わしき人物二人だった。二人とも華美ではないが質の良さそうなスーツを身に纏っている。
「へえ、思ったよりこじんまりした会社だったんだな」
夫婦のうち夫の方、李靖がビルを見上げて感想を述べた。遥か大昔に所用で上海に来た際に見た義体・義肢メーカーの上海義肢公司の本社ビルは、これよりも更に巨大な、それこそそびえ立つような高層ビルであった記憶がある。もっともその会社は今は既に存在しないが。
「でも、なかなか立派な会社じゃない」
妻の殷氏がエントランスを見ながら言った。ガラス張りの扉の左側に金属製のプレートがかけられており、『金光義肢公司』と直線的なフォントで銘打たれている。ガラス張りの扉の右側にはインターホンがあり、『御用の方はこちらのボタンを押してください』という案内表示がされている。
「まあ、そうだね」
李靖が手許の端末で何事か操作すると、二人で乗るには少々大きいファミリータイプのワゴンは、自動運転で近くの駐車場まで滑るように飛んで行った。それを確認すると二人してエントランスの前まで進み、横のインターホンのボタンを押す。
「どうも。十三時に引き取りのアポを取っていた李という者だが」
「はい、李夫妻様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました。ただいまお迎えに上がりますので少々お待ちください」
若い男性の声が返ってきてから間もなくして、ガラス張りの扉の奥にあるエレベーターから一人の鳥のような手足を持つ少年型のアンドロイドが出てきて内側からロックされた扉を解錠し、二人を招き入れた。
「お待たせいたしました。ご案内いたします。どうぞこちらへ」
そう言って李夫妻を案内すべく先に立って歩き、エレベーターの『開』ボタンを押した。李靖は目の前の少年に質問する。
「君もここの製品のアンドロイドなの?」
「はい、お客様案内係のRB-803型アンドロイド、通称『呂望』と申します」
「受付が男性型というのも珍しいね。やっぱり社長さんがそっちの方だから?」
「いえ、そういうわけではございません。当社は一般消費者向け市場では数少なかったアンドロイド、つまり男性型人型ロボットを一般消費者向けの商品として本格的に扱い始めた最初の企業でありまして。その意味もあり、設立当初から会社の顔である受付兼案内係には男性型が使用されているんです」
「でもその男性型も最初はラブドール用を想定して開発されたものだったんでしょ? そういうものを扱おうとしたのって、やっぱり社長さんがゲイだってことと関係あるんじゃないの?」
「ちょっとあなた、そういうこと聞くのは不躾というものでしょう」
妻である殷氏が夫をたしなめる。李靖は若干しどろもどろになりながら弁解した。
「いや、だって、失礼も何もここの社長さん、そう公言しているって話じゃないか……」
「だからってそういう他人様のプライベートな事に関わる質問をズケズケとするのはあまり行儀のいいものではないし、聞いてて愉快なものじゃないわよ。ご本人を前にしたときそういうこと聞かないでくださいねっ」
「分かった分かった」
そうこうしているうちに、彼らは応接室に到着した。呂望に勧められるがままに応接セットのソファに座ると、奥の方から丸くて黒い胴体に手足がつき、頭部らしき場所の首回りに黄色いスカーフを巻いたロボットがお茶を運んできた。
「それでは、社長は間もなく参りますので、しばらくお待ちください」
呂望は一礼すると立ち去った。二人が出された茶を飲んでいると、間もなく応接室に一人の若い男が現れた。
「こんにちは、本日は遠方からはるばるご足労いただき、ありがとうございます」
応接室に現れたのは、太乙であった。李靖と殷氏は立ち上がって挨拶する。
「こんにちは、今回はお世話になります」
「どうも、お忙しい中お時間を割いていただいて」
「いえいえ、自分は開発部門のチーフエンジニアも兼ねているので。社長室で机に向かって仕事をするより、アンドロイドや義肢パーツをいじっている方が性に合っているんですよ。だから今でもこうやって開発や設計に関わっているわけでして。先ほどまで製品の最終チェックをを行なっていたので、この格好で失礼させてもらいますよ」
二人に対し、そうにこやかに説明する彼は黒いタートルネックに白いパンツというラフな格好をしている。今の太乙は得体の知れない裏社会の住人などではない。金光義肢公司の代表取締役兼エンジニアチーフ兼デザイナー、それが太乙の表向きの肩書きだった。勿論名乗っている名前もまた別のものである。
十年前に設立され、ガイノイド市場に参入したこの会社は、当時ロシアンマフィアの襲撃を受けた末に倒産した上海義肢公司に属していたエンジニアやガイノイドデザイナーのうち優秀な者を次々と引き抜き、あっという間に成長した新興企業である。
比較的小規模な新興企業にもかかわらず短期間でこれだけの成長を遂げたのは、上海義肢公司から引き抜いた人員が優秀だったこともさることながら、既存のガイノイドメーカーが参入していなかったニッチ市場に目をつけ、新たな需要を次々と掘り起こしていったことにあった。
ガイノイド、所謂性処理用の玩具として使用される女性型の自動人形は、それまではヘテロセクシャルの男性に向けた女性型のものが大半を占め、それゆえ呼称も女性名詞である「ガイノイド」と称される場合が多かった。
しかし金光義肢公司では既に大手メーカーに占拠されたコンシューマ向けガイノイド市場には参入しなかった。それまでニッチ市場ゆえに規模が小さく利益が見込めないと開拓されていなかった男性型のセクサロイド、この場合は女性名詞のガイノイドではなく男性名詞のアンドロイドと称するべきであろう、をも主力商品として据え、市場に切り込んで行ったのだ。
更に従来であればセクサロイド目的としてのシェアが大きかったこの商品を、別の目的にも製作して売り出していったのも大きかった。すなわち事故や事件などで家族を失った遺族に向けて、死んだ家族の容姿と性格を再現したアンドロイド/ガイノイドのオーダーメイドである。
この李夫妻の場合も10年前に行方不明になり、生存が絶望視されていた末の息子を模したアンドロイドを作って欲しいという依頼を元に金光義肢公司の直通電話のダイヤルを押したのだった。そしてオンラインでの綿密な打ち合わせとヒアリングの後、完成したアンドロイドを引き取りにきたのだった。
「それにオーダーメイド仕様のアンドロイドの引き渡しというのは、ただの製品納入とは勝手が違いますからね。手塩にかけた我が子にも等しい存在をお客様の元に送り出すということでもあるので、本社まで引き取りに来られる場合には社を代表して私も立ち会うことにしているんですよ」
「なるほどね」
「それで、あの子はどこに」
殷氏が待ちきれないといった表情で太乙に聞いた。
「最終調整も済んで、別の部屋で待っていますよ。今、お連れしますので少々お待ちを」
そう言って内線電話で指示を出すと、間もなく応接室の扉が開いて二人の女性社員が入室し、続いて台車に乗せられた箱が運び込まれた。先ほど茶を運んできたのと同じタイプの小型ロボットが押す台車の上に乗っているその箱は、縦に長いトランクのような外観をしていて、大きさは子ども一人が入るぐらいだ。
「この二人が今回のオーダーメイドを担当した技術者です」
太乙がそう言ってメンテナンスポッドの脇に控える社員二人を示すと、姉妹のようによく似た容姿の二人の女性は前に進み出て自己紹介した。
「今回、ハードウェアの外装のカスタマイズを担当させていただきました碧雲と」
「ソフトウェア部分の設定を担当させていただきました赤雲です。どうぞよろしく」
「あ、どうも。ご丁寧に」
二人の社員が李夫妻に一礼し、名刺を差し出した。李靖も一礼しながらそれぞれの名刺を受け取る。渡した後、碧雲が箱を指し示しながら説明する。
「この箱は専用のメンテナンスポッドになっていて、この中で充電やソフトウェアのアップデートを行うようになっています。箱に入って蓋を閉じると自動的にスリープモードに入るようになっていますが、蓋を開ければ自動的に再起動するようになっています」
殷氏がメンテナンスポッドの蓋にある解錠スイッチにおそるおそる手をかけた。カバンの留め金を模したそれを押した瞬間、箱の蓋がゆっくりと開いていき、箱の中身が姿を現した。
「哪吒!」
箱の蓋が開くとともにゆっくりと身を起こしたのは、一人の幼年型アンドロイドだった。七歳ぐらいの少年の姿をした人形は所在なげに辺りを見回し、箱の傍らに立つ殷氏に目を止める。
「母上……?」
「ああ、哪吒、私が分かるのね……?」
殷氏は涙を浮かべて哪吒の姿をした人形を抱き上げた。人形はきょとんとした顔で母親に抱かれていたが、やがて安心したような無表情に戻った。
「LOTUS型アンドロイドのtype-909、現行製品では最新モデルの機種をベースにカスタマイズしてます。顔や体つきなどはお借りした写真を元に再現しました」
側に控えた碧雲が説明した。
「OSはGoldElixirの最新バージョン、8.1.6をインストールしてカスタマイズ済みです。事前にお聴きした息子さんの特徴や思い出を元にお二人の顔や声などの情報を記憶メモリにインプットして、性格面も可能な限りカスタマイズしてあります。ただ、基本的な情緒面では敢えて余白部分を残してあるので、育てなおすつもりで接してあげてください。そうすれば人工知能が色々と学習して、段々と内面的に育ってくるかと思いますから」
続いて赤雲が説明を続ける。李靖の方は妻ほど感情を露わにしてはいないものの、嬉しさとも懐かしさともつかない表情を浮かべて妻に抱かれる我が子を模した人形を見つめていた。
「充電などは夜の間、専用のメンテナンス用ポッドで休止状態にしている間に完了します。最低五時間はかかりますので、普通の人間と同じように夜になったら眠らせてあげるのがいいかと思います。ソフトウェアのアップデートなどもその中で行われますので」
「食事とかは与えなくてもいいのかね?」
「電力で駆動しているので食事などは食べさせる必要はありません。いちおう口から食べ物や飲み物を摂取するという形で擬似的に食事を模した行為をさせることはできますが、消化機能は実装されていませんので、食べたり飲んだりしたものはそのままの形で胸部の格納袋に入ったままになります。何か食べさせた場合は胸部にある排出用ハッチから出してあげるのを忘れないでくださいね」
「分かった」
李靖は哪吒を抱き上げて号泣する妻と、その腕に抱かれた哪吒の姿を模した人形を再度見て、ふっと微笑んだ。太乙はその様子を離れたところから見守っていた。
それから一時間ほど後。いくつかの説明を受けた後、李夫妻は『哪吒』を連れて帰るべく金光義肢公司の正面玄関前で太乙と二人の社員に見送られていた。自動運転で音もなく路肩に降り立つSVに、殷氏が嬉しそうに哪吒を伴って乗り込む。
「もしご希望があれば成長した後のボディに換装することも可能ですので、何年か経ってそういったカスタマイズをご希望の場合はお申し付けください」
送り出しながら太乙が李靖に言った。車の後部では、二台の作業用ロボットが碧雲と赤雲に指示されてメンテナンスポッドをトランクに運び込もうとしているところだった。
乗り込む前に、李靖が太乙の方を向いて言った。
「実を言うとね、最初は息子のアンドロイドを作るのはあまり気が進まなかったんだ。いくら記憶や写真を元に復元しても、いなくなったあの子とは別のまがいものでしかないからね」
そう言って李靖は車の後部座席に母親と並んで座る哪吒に視線を送った。
「でも、今はやっぱり頼んで良かったと思っているよ。あれはいなくなった息子じゃないとは頭では理解しているつもりだけど、あの子の姿を見たとき、哪吒が帰ってきたって思えたんだ」
「それは良かった。そう言われると精魂込めてあの子を組み上げた甲斐があるというものだ」
車の中で、哪吒は殷氏が笑顔で何事か話しかけているのをじっと見上げながら聞いているところだった。二人の様子を見つめながら李靖は続けた。
「妻も上の二人の息子が独立してから向こう、家の中が寂しくなってから、なんだか塞ぎがちだったんだけど、久しぶりにあんな笑顔を見たよ。やはり作ってもらって良かった」
そう言って、李靖は車に乗り込んだ。車はそのまま滑るように走り去って行き、太乙と二人の社員は車が見えなくなるまで見送っていた。
その日の仕事を終え、太乙が自社ビルの上層に設えた自分の居住スペースに帰ってきたのは夜半過ぎだった。エレベーターに乗り込んで操作盤の脇にあるパネルに掌を押し当てると自分と限られた人間しか入れない階の番号が表示される。それをタッチするとエレベーターは静かに上がり、一番上の階で止まった。そこから降りると短い廊下の左右に鉄製のドアが二つと、突き当たりにもう一つドアがある。突き当たりの扉の脇に設えられた虹彩認証センサーに瞳孔を読み取らせると、電子ロックされた扉が解錠された。
「哪吒、ただいまー」
扉の内側に身を滑り込ませながら、住処の奥に向かって呼びかける。会社近くの屋台で買ってきたテイクアウトの夕食を机の上に置いて中身を出していると、リビングの奥の一室の扉が開き、赤い髪の少年型アンドロイドが顔を出した。
「ただいま、哪吒。寝てたのかい」
「ああ」
哪吒は無言で出てきた部屋の奥を一瞥した。部屋の奥には昼間、金光義肢公司の応接室に運び入れられたのと同じ、トランクのようなメンテナンスポッドが口を開けたまま置かれていた。スリープモードに入る前に、太乙の声に反応して起動するように自分で設定していたらしい。
「今日、君のご両親に引き渡しをしてきたよ」
太乙がテイクアウトの紙容器を開封し、中の炒麺をすすりながら言った。食事を摂る必要のない哪吒はその場に立ったまま太乙を見ているだけだった。
「そうか。母上はどうしていた」
「喜んでおられたよ。息子が帰ってきたって。これでよかったのかい、哪吒」
「ああ」
哪吒はテーブルの上に置かれたDMをじっと見た。そのDMは事故や事件などで家族を亡くした遺族に向けて打ち出されるもので、死んだ家族の外見と性格を再現したカスタムメイドのアンドロイドやガイノイドを作りませんかという内容が示されたものだった。
「正直、賭けだったんだけどね。君のご両親が君の人形を作る気になってくれるかどうかというのは。死亡ならともかくとして行方不明の場合は、生存に希望を持っていて本人の身代わりを作りたくない場合もあるし」
「俺が帰ってくることはもうないからな」
太乙は娼館から哪吒の引き取りを決めた時、持ち前のハッキング技術を駆使してあちこちのデータベースに潜入し、彼の身元や本名を調べ上げていたのだった。哪吒という名前もかつて彼が家族の元に居た時に呼ばれていた名前であった。もっとも魂魄転写の際に哪吒の記憶はところどころ抜け落ちていて、父母のことは覚えていても、自分の名前に関しては忘れてしまっていたようだったが。
「私としては、哪吒がご両親の元に帰りたければ、そうさせてあげても良かったんだけどね。私も哪吒と似たような境遇だったけど、帰るべき場所も両親も居なくなっちゃったからさ」
「今回納品した人形には俺の魂魄データの一部が入っていたのだろう」
「4%だけだけどね。君本体に影響を及ぼさない程度に魂魄転写するのはそれが限界だったからね」
「たとえ4%だけでも、母上の元に俺の一部が帰れるのであればそれでいいし、今の俺には貴様がいるからな。それで十分だ」
「そうか。魂魄転写を疑われると不味いから君の記憶は一切移してないけど、李夫妻のところに行ったアンドロイドに入っている君の魂魄データは、搭載された人工知能の学習によって成長を続けるから、そのうち君と同じようなゴーストを獲得するかもしれないしね」
金光義肢公司製のアンドロイドが評判を博している理由には、その挙措のどこか端々に人間らしさが含まれていることにあった。それは極限までに人間らしさを追求して開発された人工知能の精度の高さによるものが大きかったのだが、その精巧さのために「金光義肢公司のアンドロイドやガイノイドには人身売買によって誘拐されてきた児童の魂魄がゴーストダビングにより転写されている」というような風評がまことしやかに流れたこともあった。しかしアンドロイドや電子機器を分解して解析し、その結果を公表するのに特化したブログがその風評を検証すべく解析を行ったところ、その電脳内に魂魄データ特有の波形パターンは見つからなかったという結果が出たため、その風評もいつしか収まっていったのだった。
人形にも魂魄は宿る——それは古くからの言い伝えであり、現在では不法投棄される野良アンドロイドやガイノイドを増やさないための方便であったが、太乙は半ばそのことを信じてもいた。それは哪吒の現在のボディに人間であった頃の魂魄を転写したことではない。そういった人間由来の魂魄ソースを持たない機体であっても、高度な人工知能を持ち、学習プログラムによって自己成長する機能を搭載したアンドロイドは、いつしか魂魄とも呼べるに値するものを獲得するのではないか。出来ればいつかそのような魂魄を獲得することのできる人工知能を作りたい。それが太乙の技術者としての野望であった。
食事を終えた太乙が物思いに耽っていると、哪吒が背後から抱きついてきた。それだけなら、子どもが親に甘えるような仕草と言えなくもなかったが、哪吒はそのまま太乙の耳朶を甘噛みしてきた。それはどちらかと言えば一部の獣が雌に対して行う求愛行動にも似ていた。
そういえば、最近仕事が忙しくて構ってやれなかったな。そう思い至った太乙は、明日のスケジュールと自分の体力を頭の中で天秤にかけて測り始めた。当面は急ぎの仕事はなかった筈だし、明日の朝少しぐらいは寝坊してもいいだろう。そう考えて振り向くと、薄く開いた唇に入ってくる哪吒の舌を受け入れながら太乙は目を閉じた。
《続》