澄み切った青い空がどこまでも続く中、一つの小さな雲が飛んでいた。空を割くように飛ぶその雲の上には二人の人物が乗っていた。一人は白衣のような道服を身に纏い、大きな矩形くけいの帽子を被った仙道で、もう一人はようやく成人したばかりといった年若い青年だ。真っ直ぐに立った仙道の傍らでうずくまった青年は、どういうわけだか両手でしっかりと目を覆い隠している。
「崑崙が見えてきたよ」
 仙道が青年に声を掛けると青年ははっとして顔を上げ、眼前に広がる眺望に心奪われたように見入った。雲の進行方向には、大きな『山』が一つ空に浮かび上がっていた。
「こりゃすごい、本当に山が空に浮いているんだ」
 青年が雲の上に身を起こして叫んだ。癖のない艶やかな黒髪は肩に届くほどの長さがあり、風にはためいている。好奇心で満たされたその視線の先には、山の頂上近くに掲げられた大きな文字があり、そこには『崑崙山』と記されていた。
「雲中子! あれ、一体どういう仕組みで浮いているんだい? あれもこの雲と同じ『術』なのかな?」
「術というより自然現象に近いかな。中心にある巨大宝貝の力で位置や状態を制御したりはしているそうだけど」
 雲中子と呼ばれた仙道が青年の質問に答えた。雲の周りだけは風が弱まっており、周囲の強風の中でもその声はかき消される事無く青年の耳に届く。青年は感嘆したように質問を重ねた。
「へー。あれにも『宝貝』が使われているのかぁ。それにしても、あれだけの質量の物質を空に浮かび上がらせるなんて、一体どういう原理が働いているんだろう」
「どういう原理で浮いているのかは、今のところよく解明されていないらしいよ」
 雲中子が説明すると、青年は片眉を上げて更なる疑問を口にした。
「解明されていないのにそこに住んだりしているのかい? というか、制御している宝貝だってその仕組みを理解した誰かが作ったんじゃないの?」
「まあ、そうなんだけど、その宝貝も誰が作ったかははっきりしていないんだ。色んな仙道が改修に改修を重ねて現在も稼働しているようなんだけど、そこもわりとブラックボックスが多くて、仕組み全体を把握している人は居ないんじゃないかなって言われている」
「分からないのに浮いているのか。なんとも心許ない話だなあ」
「分からなくても実際浮いてるんだから、それはそれで一つの現実であり現象だよ」
「そういうもんなのかな」
「そういうもんだよ。この世にはまだまだ仙道ですら解明しきれていないものも数多くあるんだ」
「ふうん」
 雲中子の答えに一応は納得したのかしなかったのか、それ以上の質問をすることはなく考え込むように口を閉ざした。そんな青年に雲中子は問いかける。
「それより、本当に良かったのかい」
「何が?」
 雲中子の問いに、青年がきょとんとした顔で聞き返す。雲中子は居住まいを正して言った。
「これから君は仙道に入ることになる。仙道になれば年を取ることもなく、死ぬこともない。だけどそれは、同時に人の縁の環からは永遠に外されることを意味するんだ」
 淡々とした口調で雲中子は説明を続けた。青年は黙って聞いている。
「普通の人間はやがて老いて死ぬ。けれど我々仙道の肉体の時間はほぼ止まっているも同然だから、君の家族も友人も全て、君を置いて先に死んでしまうことになる。一度崑崙に上がったからと言って降りられないわけではないから、今生の別れになるわけでもないけれど、長期的な目で見ればその先に待っているのは緩やかな離別だ。それでも君はこの先に進むかい?」
「前にも聞いたけど、何故そのことを今?」
 青年が小首を傾げる。
「最終確認だ。君をこの仙界に引っ張り込んだ者としては、後から後悔しただの何だの言われては寝覚めが悪い。今ならまだ引き返せるから、今のうちに聞いておいた方がいいかと思ってね」
「決意は変わらないよ」
 青年が再び目の前に迫る山々に視線を戻しながら答えた。
「まあ、心残りがないといえば嘘になるけどね。両親を残していくのは心が痛むし、自分は最大の親不孝者だって思ってる。けど、これから行く世界には、人の世で生きている限りは何十年かかったって辿り着けない進んだ知識やテクノロジーが山ほどあるんだろう? しかもそれを紐解き研究するための無限の時間も同時に与えられる。そんな千載一遇のチャンスをフイにするなんて考えられないよ」
 青年は再び雲中子を振り返り、言った。
「それに人間の社会からの縁が切れても、この世で永遠に一人ぼっちになるわけじゃない。これからは仙道の世界で新しく縁を作っていけばいい。そうだろう?」
「まあ、それもそうだね」
 雲中子はしばらく黙って青年の横顔を見つめていた。そしてふと、思い出したように聞いた。
「ところで君、高いところは苦手じゃなかったっけ。大丈夫?」
「え?」
 雲中子の言葉に青年は思わず下を見てしまう。足元の遥か下の方に自分たちが乗っているのとは違う白い雲が流れており、その雲の切れ間から更に遥か遥かに下の方に辛うじて大地が見える。
 その高さを思い出した瞬間、青年の顔がさっと青ざめた。
「言われなきゃ見なかったのに……」
 青年はそのまま貧血を起こし、雲の上にばたりと倒れ込んだ。
 
 

「いやあ、面目ない」
 青年が笑いながら言うと、先を歩いていた白鶴童子が若干呆れたように呟いた。
「高所恐怖症で高さに目がくらんで貧血を起こすとは……そんなことでこの崑崙でやっていけるんですか。先が思いやられますねえ」
「まあ、自分が今、高いところにいると意識さえしなければ平気だからね。一度意識してしまったらそれまでだけど」
 雲中子と彼が連れてきた青年は白鶴童子に案内され、崑崙山の中枢である玉虚宮の廊下を歩いていた。目指しているのは最奥にある謁見の間である。
「大体、それを言うなら、この山自体が空に浮いているではないですか」
「でも今日明日に簡単に落ちるようなものではないんだろう? 自分の身が今にも落っこちるような状況にでもならなければ大丈夫だよ」
「浮く原理がよく分からないものでも信じられるのかい」
 雲中子が口を挟むと、青年は相変わらず落ち着いた表情で答えた。
「分からなくても現実としてそこに浮いているんなら、雲中子にさっき言われたように、それはそういう一つの現象として受け入れるまでだよ。分からないからと言って無闇矢鱈に恐れるのも科学的ではないし」
「まあ、そういうものですかね……」
「そういうもんだよ」
 先ほど雲中子に言われたのと同じような言い回しで白鶴に答えた青年は、隣を歩く雲中子にえへへと人なつっこく微笑みかけた。
 間もなく一同は大きな扉の前に立った。白鶴が扉に手を掛けて雲中子と青年を振り返る。
「さて、謁見の間に着きましたよ。元始天尊様がお待ちでいらっしゃいます」
 ゆっくりと扉が開かれる。青年は引き締まった、だが希望に満ちた表情で、雲中子はいつものような澄まし顔で白鶴の後に続いて扉をくぐった。


「ふむ、雲中子の見立てどおり、まずまずの才能はありそうじゃ」
「恐れ入ります」
 挨拶と簡単な紹介を受け、一通りの面接のようなものが終わった後、元始天尊は目の前の青年をそう評した。
 長身痩躯で若干華奢にも見える面立ちだが、その目に浮かぶ怜悧れいりな眼差しは彼が一角の才能を現すことを予感させていた。
「ひとまずは燃燈道人のところで教えを受けるがよかろう。基本的なことは彼の元で学ぶがよい。その後の事については修行の経過を見て追い追い決めることとしよう」
「ははっ」
 青年は拝跪して応えた。彼が顔を上げると、元始天尊は傍らに控えていた白鶴を指して言った。
「ではその他もろもろの事務的な事はそこの白鶴に聞くがよい。白鶴、彼を案内してやりなさい」
「はい、元始天尊様」
 青年は今度は立ったまま一礼すると、白鶴に案内されて謁見の間を退室した。彼らが部屋を出て完全に遠くに行ったのを確認すると、元始天尊はその場に残った雲中子に話しかけた。
「お主が連れてくるというから、またいつぞやのようなとんだ変人が来るかと冷や冷やしておったが、比較的常識的かつ素直そうな青年で安心したわい」
「あんなのはあいつだけです。ああいうのが二人も三人も居てはたまりませんよ」
「それにしてもお主、あの新人を自分で弟子として育てる気はないんじゃな」
「ええ。あれは私の弟子などで収まるような器じゃありませんから。むしろゆくゆくは私と同レベルか、それ以上のところまで行く可能性だって高いと見ています」
「お主が以前連れてきた例のあやつよりもか」
「あいつはまた別格ですが、彼の場合は方向性が若干違います。どちらかと言うと、研究や開発の方面で頭角を現しそうですね」
「だったら尚のこと、お主のところで師事させれば良かろうに」
「それでも良かったんですが、彼、例の計画に必要な人材になりそうですから。私が直接弟子に取るよりは、その方がいいんじゃないかと思いまして」
「ふむ。そういうことか」
 元始天尊はそれで何かに得心が行ったようで、それ以上は何も聞いてはこなかった。そんな崑崙の教主に雲中子は思い出したように付け加える。
「それと、あいつの仙人名に使う言葉も、もう考えてあるんです。『太乙』というのはいかがでしょう」
「太乙か。なかなか良い名じゃな。由来は星かね」
「そうです。見つけた時に丁度その星がよく見えていたもので。あいつが昇仙するのはまだまだ先になるかと思いますが、心の隅にでも留め置いていただけると有り難いです」
「良かろう。とにかく、あの者を推薦した者として、今後も色々と面倒を見てやるがよい」
「へいへい」


 それから十年の月日が流れたある日のこと、終南山の雲中子の元に申公豹が訪れた。
「やあ、君が来るとは珍しいな。太上老君は元気にしておられるのかな」
「相も変わらず寝てばっかりでいらっしゃいますよ。先月、久しぶりに私の夢の中に出てこられましたが。それより、聞きましたよ。新人を見つけてきたんだとか」
「ああ。今現在は燃燈道人の指導の元に修行しているよ」
「燃燈道人ですか。少々ミスマッチじゃないですかね。彼、見た感じでは理系でしょう。体育会系の燃燈道人とは相性が悪いんじゃないですかね」
「まあ、そうなんだけどね。今、学んでいるのは道術の基礎の基礎だから、理系も文系も体育会系もないよ。専門分野を決めるのは基礎を学んでからでも遅くはないし」
「そうですか。しかし、燃燈道人の弟子だと、専門分野に進んだ後に困るんじゃないですかね。彼、術や気功に関してはエキスパートですが、あの青年はそういう方面よりも研究とか開発方面の方の才能がありそうだと聞き及んでおりますが」
「いいや、それは問題無い。彼、元始天尊様の直弟子だし」
 雲中子の意外な答えに、申公豹は目を少しだけ大きく見開いた。
「おや、そうだったんですか。てっきり彼、燃燈道人の弟子だとばかり思っていましたよ」
「序列の上では元始天尊様の直弟子なんだけど、なにぶんお忙しい方だからね。今は燃燈が面倒を見ていることが多いそうだよ。彼は元始天尊様の弟子の中でもリーダー的存在だし、人の特性や得意分野なんかを見極めるのが得意だから、元始天尊様の直弟子になった者は最初に彼の元で修行することが多いんだ」
「成る程。しかし、序列の上で元始天尊の直弟子ということは、彼、相当なポテンシャルを認められてるようじゃないですか。あなたから見てもそれほどの逸材だったんですか?」
「まあ、君ほどには及ばないながらも、あいつはなかなかのものだ。将来の崑崙の幹部候補生と言っても過言ではないよ」
「また大きく出ましたね」
「君だってそれ以上になってもおかしくはなかったのに」
「嫌ですよ私は。折角人間の世界のトップに据え置かれそうなところから逃げてきたのに、仙道の世界のトップに据え置かれるなんて真っ平ご免です」
「まあ、君の性格を考えるとそれも仕方ない、か」
「でも、あなたに崑崙ここに連れてきてもらって良かったとは思っていますよ。結果的にですが、良き師にも巡り会えましたし」
 申公豹がしみじみと言ったところで、雲中子はふと思い出したように言った。
「そうそう、彼、私と同類のようなんだよ」
「同類? ああ、貴方そうでしたねそういえば」
 申公豹は何かに得心が行ったように頷くと、どこか物思いに耽るように言った。
「彼の態度を見た時に感じた既視感にもそれで得心がいきました。確かにそれだと人の世界では生きにくいでしょうね。それにしても、指向の対象がはっきりしているというのは、ある意味羨ましくはありますね」
「そういえば君は、愛欲のくびきから解き放たれた者だったね」
「今はもう、そんなこと言ってくるような不躾な者は居ないですし、そもそも仙界では私のような者の方はもはや少数派とは呼べない程度には当たり前に居ますけど、人間の世界にいた頃はそのことで的外れな言葉を散々言われましたからね」
 申公豹は心なしか吐き捨てるような調子で言った。
「否定しようにも、何かが無いことを証明するのはあるものを証明するよりも難しいというか不可能に近いですから、自分でも本当にそうなのか自信が持てなくなったりしていましたし」
「世捨て人になったのはそれが原因?」
「勿論、それだけが原因ってことはないですが、そんな奴しか居ないんだったら、人間の世界なんか願い下げだと思うようにもなりますよ」
 私はただ、自分の心に逆らうようなそういう不自然なことはしたくなかっただけなんですが、と、いつになく嫌悪感をあらわにして語る申公豹を、雲中子は若干物珍しげな目で見ながら言った。
「君がそんなことを言うとは珍しいね」
「まあ、それも今となってはどうでもいいことですが。あの青年を見ているとなんとなく昔の事を思い出しましてね。それに彼、まだ人の世の規範に囚われたままのようですし」
「おや、てっきりもう吹っ切れているものかとばかり思っていたが」
「仙界に連れてきたからって自動的にそこらへんのことが解決する者ばかりじゃありませんよ。クローゼットならば尚更ね。連れてきたあなたがそこらへん教えてあげた方がいいんじゃないですかね」
「そこまでやるのはお節介というものではないかな」
「ま、確かにそうですが、こじらせたまま長いこと放っておくと悪化しますよ。あなたなら必要以上に相手の内面に踏み込んだりすることもないですし、下手な世話好きを自称する者よりよほど適役なんじゃないですかね」
「忠告どうも。考えておくよ」
「では、私はこれで……」
 そう言って、申公豹は黒点虎に跨るとふわりとそこから飛び去った。雲中子に見送られ、終南山から離れると、黒点虎が口を開いた。
「ねえ申公豹、例の若い人、どうして他の人の下で修行してるのに、元始天尊の直弟子になったの?」
「元始天尊の弟子には様々な専門分野のエキスパートがいるから、彼の弟子という立場であれば、他の兄弟子に教えを乞うことも可能になるんですよ。将来の幹部候補生であれば様々な知識を得られる立場にいた方がいいですからね」
「ふーん」
「これが直接の弟子ではなく、他の直弟子の弟子だったりしたら、元始天尊の他の弟子に教えを乞うたりすることは難しくなりますからね。あくまで師の補助として、兄弟子が弟弟子の面倒を見るという建前が通るから出来るんです」
「色々とややこしいんだねぇ。仙道の世界っていうのは」
「ええ、ややこしいし面倒臭いですよ。色々とね」


 それから何日か後のことである。玉虚宮の書庫に資料を借りに来ていた雲中子が書架の前で本のページをめくっていると、彼を呼び止める者がいた。
「やあ雲中子!」
 雲中子に推薦されて入山した、あの青年である。雲中子は書から目を上げると、彼の方に顔を向けて言った。
「やあ、君か」
「久しぶりじゃないか。元気にしてたかい?」
 書架の間を縫って、年若い道士は嬉しそうに雲中子の元に駆け寄ってきた。雲中子は僅かに頬を緩めて青年に声を掛ける。
「ああ。君も元気そうでなによりだ。修行ははかどっているかい」
「うん。今は燃燈師兄のところで修行をしているよ」
「そういえばその燃燈道人が言ってたけれど、君よく瞑想中にサボってこっそり何かメモ書きをしていることが多いそうじゃないか」
「ああ、あれね」
 青年はバツが悪そうに頭をかいた。
「いやほら瞑想してるとさ、色々なアイディアが思い浮かんでくるじゃないか。頭をバカにして身体を利巧にする修行をしろって教えられるけどさ、頭をバカにするなんて無理な話じゃないかな」
「まあ、あれはそういう意味じゃないんだが……まあいいや、それより、一体何をそんなに熱心に書いてるんだい?」
「えーっと……いや、直接見せた方が早いな」
 そう言うと青年は懐から何枚もの紙切れを出した。読みにくい字で短い走り書きや数式がいくつも書かれているもの、何かの図や絵が描いてあるものなど様々だ。雲中子は感心したように紙切れを手にとって詳細に眺めた。
「へえ……こっちのは何だかよく分からないが、こっちに書いてある仙丹の配合と効率的な煉成の方法に関しては面白い発想だと思うよ」
「だろ? だろ? 仙丹を煉る時にずっと気になっててさー」
「確かにその方が効率的だ。というか、普通は多分この方向でのアプローチに思い至ったりしない」
「えへへ」
 青年はまんざらでもなさそうに笑った。その後でふと思い立ったような顔で口を開く。
「そういえばさ、一つ聞きたいことがあるんだ。こんなこと聞くのはその、変なことかもしれないけど、他に聞ける人がいなくて……」
「なんだい。聞いてごらんよ」
 雲中子に促され、青年はしばし逡巡した後に躊躇いがちに切り出した。
「仙道になったらさ、その、性欲とか愛欲とか、そういったものは自然に消えるものじゃあないの?」
「消えないよ」
「そうか……」
 あっさりと否定され、青年が明らかに肩を落とした。雲中子は付け加えて言った。
「仙道になったからと言って別に性的な欲を消そうとする必要はないよ。無理に押さえつける必要もないし、好ましいと思う奴がいるなら普通に思いを伝えればいい」
「まあ、そうなんだけどさ、ここってほら、ほとんど男ばかりじゃないか」
「おや、君の性愛の対象は男だとばかり思っていたんだけど」
 一瞬の沈黙があった。青年の表情が凍り付いたように止まっている。やがて彼は、恐る恐るといった表情で口を開いた。
「……なんで、分かったの?」
 努めて平静に言おうとしているようだったが、平板な口調が却って隠しきれない動揺を表出していた。
「わりと君、分かりやすくそういう気色出してたからね。私を見る目とか」
「あの、ごめん、なんというか、その……」
 青年は泣きそうな顔になりながら弁解しようとするが、それまでの饒舌振りが嘘のように円滑に言葉が出て来ない。そんな青年に対して雲中子は相変わらず淡々とした口調で告げた。
「気にしないでいい。私もそうだから」
「え?」
 青年の表情にまた新たな驚愕の色が浮かぶ。しかし次の雲中子の言葉に、それは安堵と喜びの入り混じった表情に変わった。
「私も同性愛者。君と同じで」
「気付かなかった……ずっと私だけがそうなのだと思っていた」
 今度は泣き笑いのような表情を浮かべて呟く青年に、雲中子は問いかけた。
「その様子だと、もしかして今まで誰にもカミングアウトしたことがないクチ?」
「ああ。もしこんなこと人に知られたら絶対に気味悪がられたり蔑まれたりすると思っていたから、この秘密は墓の中まで持って行くつもりだった」
 そう言って泣いたように笑う青年に、雲中子は指摘するように言った。
「仙道は死なないから、それだと永遠に自分の性的指向を隠したまま、終わりのない時間を生き続けることになっていたよ」
「そうだね。でも、仙道として色々な知識や技術を極められる事に対する、避けて通れない代償のようなものだと思って覚悟していた」
 青年は悟ったような穏やかな口調で言った。そんな彼に雲中子は淡々とした口調で説明する。
「どういうわけだか仙人界にスカウトされてくる者にはね、人間の世界では生きにくさになり得る何らかの要因を抱えている者が結構多いんだ。もちろん、結果としてそういう者が多くいるというだけで、生きにくさを抱えた者全てに仙人骨があるわけではないし、仙人骨を持っている者全てが生きにくさを感じていたりするわけではないけれど」
 そこで一旦言葉を切ると、言葉を選ぶようにゆっくりとした口調で続けた。
「だからまあ、ここではそこまで必死になって自分の性的指向を隠したり、ましてや異性愛者の振りをしたりしなくてもいい。いや、言いたくなかったり必要ないと思うのであれば、無理に言わなくてもいいけれど」
 青年は安心したような微笑みをふっと浮かべると、雲中子に言った。
「君は優しいんだな」
「同類のよしみというやつだ。君とは性的指向だけでなく、それ以外の面でも近いものがあるからね。まあ、マイノリティ同士だからってみんな仲良くってわけにはいかないし、むしろ他人の事には距離を置き、深く突っ込みすぎないぐらいがここで生きるには丁度いいとは思うけれどね」
「じゃあさ、もし、もしもだけどさ、私の方からその距離を詰めるとしたら、君は嫌かな?」
 青年が躊躇いがちに、だが抑えきれないといった様子で聞いた。雲中子はほんの僅かにだが口の端を緩めて言った。
「距離を置くというのは相手の事情に干渉しすぎないという意味で、誰とも親密な関係にならないというわけではないよ。急に踏み込むのではなく、順に段階を踏むのであれば歓迎するよ」
 途端に青年の顔がぱっと輝く。雲中子は付け加えるように言った。
「但し、流石に人前でイチャイチャしたりするのは御法度というか、マナー違反だからしないでくれよ」
「しないよ、そんなこと」
「どうだか。今までずっとクローゼットだった者ほど、一度その枷が外れるとはっちゃけるからね」
「まあ、わかった。気をつける」
「ところで君、次に行くところは決まってるのかい。そろそろ燃燈道人のところでの基礎研修も終わる頃だろう?」
 雲中子が思い出したように聞いた。青年は調子を戻して答える。
「そうそう、その事なんだけどね。君のところで学ばせてもらいたいと考えているんだ」
「君、前に宝貝工学の方面に進みたい言ってなかったっけ。私は医学や生物学が専門で、宝貝工学には詳しくないけど、それでもいいのかい」
「そうなんだけど、折角だから色々と学べるうちに学んでおいた方がいいかなって思ってさ。それに、人や生き物の身体構造の仕組みなんかを勉強することは、後々武器とか身体を使って行使するような宝貝を設計したりするときに役立つし」
「そうか。そういうことなら歓迎するよ。後で一度、元始天尊様と燃燈道人との面談の機会を持とう」
「ああ、お願いするよ、師兄」
「そんなふうに畏まった呼び方しなくていい。最初に会ったときにも言ったろう」
「そうだけどさ、弟弟子が兄弟子に対する礼を尽くすのは当然だろう? それもこれから師の代わりになってくれる人へのさ」
「まあ、それもそうだけど、君に師兄なんて他人行儀な呼ばれ方をされるのはどうにも居心地が悪い」
「ああ、分かっているよ。雲中子」
 青年は笑ってそう言った。




 それから数日間、青年は晩になると雲中子の寝所に通った。
「んく、んむ……」
「もう少し大きく口を開けて。歯が当たらないように。そうそう」
 寝台の上で、雲中子は青年に口淫をさせていた。一糸纏わぬ姿で雲中子の股間に顔を埋め、懸命にその雄を舐っている。頭を撫でてやると、青年は嬉しそうに眼を細めた。
「もういいよ」
 少しの間口淫をさせた後、雲中子が止めるように促すと、青年は素直に口を離した。そして雲中子を上目遣いに見上げて聞いてくる。
「気持ちよかった?」
「うん。まだぎこちないところはあるけどね、前のときよりは上手くなった」
 雲中子は青年の身体を抱き寄せ、その唇に口付けてやった。彼は雲中子に身を預けたまま口内に入ってくる舌に己の舌を絡ませてくる。
「……ん、ふぅ……」
 青年は雲中子の膝の上に正面から跨るように座り直すと相手の首に手を回し、腔内に舌を入れ返した。雲中子は口付けながら帯を解き、青年の寝衣を脱がせてやると、自分も着ているものを脱ぎ捨てる。そして互いのほんのりと上がった体温と肌の湿り気をダイレクトに感じ合った。
 雲中子が青年の舌を吸いながら、両手を彼の薄い尻に回して包み込むように優しく尻たぶを掴んでやると、青年は勃ち上がりかけた股間を雲中子の股間に押し当ててきた。
「欲しい?」
「うん。早く入れて欲しいよ。まだ無理かな」
「最近は随分慣れてきたから、そろそろ行けるかもね。じゃ、次は拡張の続きといこうか」
 雲中子は寝台の上で青年に背位を取らせ、尻を自分の方に向けさせた。枕元から小さな瓶を手に取るとそこから粘性のある液体を手指に垂らし、青年の肛門周りに塗りつけた。液体を塗りつけて入り口をマッサージしてやるとそれだけで肛門が緩んできた。
「っはぁあ……」
 中指を根本まで差し込んでやると、枕に突っ伏した青年が吐き出すような声を上げた。雲中子が指を青年の体内でゆっくりと動かし、出し入れしてやると、それだけで青年は鼻から抜けるような鳴き声を漏らした。
「んう、ふうぅ……」
 そのまま腹側にある前立腺を撫でて刺激してやると、青年の肛門がきゅうと窄まり、雲中子の指を締め付けた。そして再び緩んだタイミングを見計らって、雲中子が人差し指も挿入すると、青年の肛門はそれもするりと飲み込んだ。
「随分スムーズに入るようになってきたね。この分ならそろそろ男根を入れても大丈夫そうだ」
 そう言いながら二本の指を同時に出し入れするように抜き差ししてやると、青年が肩越しに振り返り、情欲に潤んだ目で雲中子の方を見て言った。
「……なら、今日は君のを挿れてほしい……」
「これ以上慣らさなくても大丈夫?」
 青年の肛門から指を抜いた雲中子が確認する。青年は我慢しきれないといった様子で答えた。
「大丈夫。早く君の男根で奥まで突いてほしいんだ」
 そう言って物欲しそうにゆらゆらと腰を揺らす。雲中子はその答えに満足したように口角を緩めると青年に指示した。
「分かった。じゃあ、頭を低くしてもう少しだけ腰を高く上げて。そうそう。後は出来るだけ楽なようにして」
 言われたとおりに青年は頭を枕に沈めると腰を更に高く上げた。雲中子は己の陰茎を二、三度しごくと、先端を青年の孔に宛がった。彼は横を向いて背後に視線を送り、期待と不安の入り混じった表情で雲中子を見ている。雲中子は青年の細い腰を掴むと、ゆっくりと先端を挿入した。




 太乙の心身には、雲中子仕込みの男を悦ばせる技がしっかりと蓄積されていた。
「はぁ……」
 一糸纏わぬ姿となり、己の股間に顔を埋める太乙の黒髪に手指を差し入れ、若者は思わずため息のような声を漏らした。その声に反応した太乙が逸物を咥えたまま、上目遣いに見上げてきた。若者が髪を撫でてやると、太乙は嬉しそうに眼を細めた。
 先ほどから太乙は床に膝を付き、寝台に座った若者の膝の間に座り込んだまま、その逸物を一心不乱に舐っていた。その容量の大きさに若干息苦しそうな表情ではあるが、それが尚のこと情欲を煽った。
「なあ、あの、出そうなんだけど……」
 若者が困ったように太乙に声をかけると、彼はよりしっかりと深く咥え直し、竿を扱き上げる手の動きを早めた。
「え、ちょっと、このままじゃ……」
 慌てる若者が身を離そうとしても太乙はそれを許さない。あっという間に若者は吐精し、太乙の口の中にその精を吐き出した。
「んく、うん……ゴクッ」
 太乙は若者の肉棒を咥えたまま喉を鳴らし、口の中に出された精を美味しそうに一滴残らず飲み込んだ。若者は目を白黒させながらその様子を見守るしか出来なかった。
「良かったかい?」
 若者の膝の間に座り込んだ太乙が身を起こして上目遣いに聞くと、彼は恥ずかしそうに真っ赤に顔を染めて言った。
「すごく……けど、まさか出したものを飲まれるなんて……」
「嫌だった?」
「ううん。そんなことはない」
「そうかい、それは良かった」
 太乙は満足げに微笑むと、尿道口に口付けて中に残った精液をちゅっと音を立てて吸い取った。それから舌を出して竿に残った精液や涎を優しくすくい取るように舐め取り始めた。達したばかりで敏感になっていた陰茎は更なる刺激を与えられ、再び元気を取り戻してきた。その様子を見た太乙は舌なめずりをしながらくすぐるように指先で亀頭の辺りを撫で回す。
「お、元気だねえ」
「君のそんな姿を前にして、こんな事をされたらそりゃ、元気にもなるよ……」
 相変わらず恥ずかしそうに言う若者に対し、太乙は彼を見上げて艶然と微笑んだ。
「じゃあ、今度は私の中でもう一暴れするかい?」
「……ああ」
「よし。じゃあ、準備するからちょっと待ってて」
 そう言うと太乙は亀頭の先端にちゅっと口付け、若者から身を離すと寝台に上がった。そして枕元の小机の上にあった瓶を手に取ると、中身の液体を手に垂らし、若者が凝視する前で粘性のあるその液体を肛門になすりつけて慣らしはじめた。
 指を差し込むとそこは太乙の指三本をやすやすと飲み込んだ。そのまま見せつけるように足を開いたまま、太乙はクチュクチュと音を立てて肛門に入れた指を動かした。
「ほら」
 太乙が寝台の上で足を胸元に引き寄せて開き、ひくひくと勃ち上がる男根の下でぐずぐずに蕩けた後門を、己の指で広げながら誘った。
「準備万端だ、来なよ」
 太乙の白い指で広げられた肉穴がひくひくと誘うように痙攣する。百年以上に渡って雲中子により開発された太乙の肛門は、少し慣らしただけですぐに綻んでぱっくりとその口を開くようになっていた。
「太乙……」
 若者は吸い寄せられるように太乙に覆い被さると、猛り狂った己の陽根をその肉壺にゆっくりと埋めていった。

(続きは本で)

BACK TO TOP